日記 その8
2/16
サイトの掲示板で、高見長崎大司教が「しんぶん赤旗」2018/2/7で、憲法九条を改定してはならない、という記事を出されているのを教えてもらった。
早速検索して読む。
高見大司教はフランスのドキュメンタリー番組で、インタビューに流暢なフランス語で答えていたのが印象に残ったと前に書いた。その時の彼の発言にも少し触れたことがある。
ちょうど6年前に、岡田東京大司教も赤旗のインタビューに答えていたのを思い出す。
「自戒こめたメッセージ 自然と命守り後世に伝える」というもので、
>>>「いますぐ原発の廃止を~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~」日本のカトリック教会が昨年11月に発表した司教団メッセージです。日本にいる3人の大司教の一人、東京大司教の岡田武夫さんに聞きました。2012/2/26<<<とある。
共産党とキリスト教は弱者に寄り添うという一点で共通している。
共産主義政権は、資本主義社会の構造的弱者である「労働者」を「強者」に転換するのを必然としているところが決定的に違う。
日本の社会主義者でソ連のコミンテルンから日本共産党の設立を支援した片山潜はプロテスタントだったけれど、ソ連のボルシェビキが「無神論路線」= 実は神と宗教にとって代わる路線」を採用したので、自分は本当は神を信じていなかった、みたいな弱腰の言葉を残している。でも実は、戦前のキリスト教社会主義者たちは、「御用宗教」としてのキリスト教を擁護していたのではなく、「キリストの教え」に忠実であろうとしたのだった。
日本共産党はその後コミンテルンから離れて独立路線をとったのだから、もう少しイデオロギー色を消して、それこそ、もとの、搾取されている人々を解放する、という方向に、現在の肥大した金融資本主義などの中での労働者の救済ということと、必ず真っ先に弱者が犠牲になる戦争や環境破壊に絶対反対するということに特化すれば、今のカトリックの目指すところと変わらないのは事実だ。
でも、旧ソ連の全体主義と袂を分かった自由諸国内の共産党が次々とそのブランドを捨てていくのに対して、日本の共産党だけはあいかわらず「赤旗」という革命旗を掲げているから、フランスのTVニュースでも取り上げられたくらいだ。
その「赤旗」ブランド死守が生存戦略の一つだというのも、旧社会党の末路と比べると分からないでもないけれど。
で、カトリックというのは、フランスでも二つに分かれている。
ブルジョワ階級のお仲間アイデンティティと、現ローマ法王のフランシスコ教皇と同調して、形や伝統よりも慈しみの実践と偽善の告発に熱心なグループに分かれる。
カトリックが超マイノリティーな日本でさえそんな雰囲気があるのは不思議だが「欧米のイメージ」、「ミッションスクールのお嬢様カルチャー」などのお仲間アイデンティティがフランスとは違う意味で存在していて、「大司教様が赤旗に応えるなんてあり得ない」「聖職者が反体制的な政治運動や発言をするなんてとんでもない」という反応も必ず出てくるようだ。
プロテスタントの方が、もともと個人的に社会主義運動にコミットメントするハードルが低い。
今は「神、金、革命」という次著をまとめている最中なので、いろいろな歴史的、地政学的文脈が頭に浮かぶが、日本でも、超宗派的な日本宗教者平和協議会があって合意事項を明白にしている。どんな宗教でも、人間の死生観に関わるのだから、行きつくところは同じだというのはもっともだ。
合意事項は、今、検索したら、
「信教の自由と政教分離の確立」、
「核兵器の完全禁止と廃絶」、
「(自衛隊及び在日米軍)軍事基地の撤去と軍事条約(日米同盟)の撤廃」、
「日本国憲法の擁護と平和・民主条項の実現」、
「人権の擁護と民主主義の発展」、
「環境の保全と回復」、「宗教者の国際連帯の強化」(平和五原則)
だそうで、宗教が正論に行きつくとこうなるんだなあ、と思う。