少し春らしくなったブーローニュの森。
斬新な建築のルイ・ヴィトン財団の美術館に初めて行った。
前?から見るとこんな感じだけれど、横から見ると甲殻の幼虫みたいで、どこかがパタパタ開いて全体の形があっという間に変わってしまうんじゃないかという動きを感じさせるのはユニークだ。
中も明るい。
現代アートについて考察中なので、アメリカン・ポップアートやインスタレーションなどを見た。
デュシャン以来の現代アートの三要素とは
インパクト、コンセプト、レイヤー
だという小崎哲哉の言葉に従ってながめていく。
巨大なチューリップ。インパクトもコンセプトも分かりやすい。レイヤーの重ね方は「作りこんでいく」というほどでもない。
アメリカの国旗の色(フランス国旗も同じ配色だけど)の三色のセロファンで飴を包んで、山のように壁に寄せ集めている。国にはいろいろなことが起こっている。でもそれを一つ一つ手に取ってみていくと、自分の中で文字通り「消化」することもできる、というコンセプトで、自由にもらってもいい。私は青いのを一つとって食べた。
コンセプトを基に、空間を設計するばかりではなく、それを見る人が形を変える偶然性を取り込んで、しかも、単に、「参加」型ではなく、紙を剥がして中身を食べるという五感動員型インパクトだ。
飴の一つ一つが違う人の手に取られて食べられていくということが「世界の見方」「生きられ方」の含意というレイヤーも手が込んでいる。
アメリカのアートがヨーロッパの時間軸を離れて対抗するために生まれた流れの行きつくところでもある。インパクトだけで終わったらあまり意味がないわけで、コンセプトとレイヤーを読み解かなければならないようにできている。
わっと驚かす部分だけに注目すると、単純なお遊びに見えるけれど、実は考え抜かれたものなので、その反動としてわかりやすく情動に訴えるアール・ブリュットとかサブカルアートがコンセプチュアルアートに並行して生まれたわけだ。
実際、驚かされ、コンセプトを探り、レイヤーを読み解くだけでは、知的には面白くても、それがどうした、ということが多い。デュシャンは「網膜を対象にしたアートではだめだ」と言ったそうだ。だからと言って「便器」で驚かすより、もっとアフォーダンスとかで工夫してほしい。
そういえば、「13世紀のモスクの尖塔(ミナレ)」と称される「アルミの巨大な鉛筆」というのが転がされていたのも記憶に残った。
こういうの。 このご時勢にこんなネーミングで挑発的ではないのか、と一瞬どきりとした。それが「インパクト」なのかもしれないが、コンセプトとレイヤーは見えてこない。
(続く)