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L'art de croire             竹下節子ブログ

『マグダラのマリア』その2 教皇のツイッターとカラマーゾフの兄弟

(これはこの前の記事の続きです。)

さて、今回の映画の『マグダラのマリア』だが、イタリアでのロケ、そしてシチリア島でのエルサレム再現の映像は美しく迫力がある。時代考証なども最新らしく、パレスティナの人々の服装や生活、シナゴーグでの祈りの様子などもリアルで興味深い。

フェミニスト神学の流れなので、マグダラのマリアはイエスに赦された罪の女(姦通の女や娼婦)などではなく、マグダラに立ち寄ったイエスに救われて家族を捨ててイエスに従った若い女という設定だ。

イエスと同じく、自らも苦しみ騒ぐ人を落ち着かせるような「治癒師」としての「霊能」を周りから認められている。そのこと自体は、フランスの地方の村では今でも時として代々、基本無償で活動している霊能治癒師たちがいるくらいだから不思議な設定ではない。

で、そのマリアが親の勧める結婚から逃げて朦朧としているところに、イエスが呼ばれ、イエスはマリアがいわば自分と同類の人間だと見抜いた。


マリア自身も、他の使徒たちがユダヤ人をローマから解放する革命家や救世主をイエスに託してそれぞれの期待を背負わせているのに対して、このイエスが、他者を救う使命は自覚しているが、自分自身は犠牲として差し出すしかない存在であることを見抜く。


ソウルメイトみたいなものだ。


で、もう一人イエスに信頼されているのが教会の礎となる岩(ペトロ)とよばれるペトロがいる。

このペトロは、神の国の到来を革命による社会の刷新だと勘違いしている使徒たちではなくマリアの言葉だけを聞きなさい、という風にイエスから言い残されたのに、実際はイエス亡き後、マリア抜きで「男たち」を鼓舞して連帯を強める。


神の国は確かにユダヤ人をローマから解放するというような民族的な問題ではなかったのかもしれないけれど、イエスは何しろ死に打ち勝ったのだから、もっとすごい。ペトロは、普遍的に全世界の人間を、イエスを遣わせてくれた神の民にするのだ、という壮大な決意をしたのだ。


一人一人の使徒に、自らが岩となって教会を造れ、という。

マグダラのマリアの出番はない。


マリアは、そういうことなら自分は一人で出て行って福音を伝える、という。


マリアの福音とは、イエスが伝える「神の国」というのは、ローマ人を倒すことによって勝ち取るようなものではなく、一人一人の心の中で、隣人と愛し合い、敵を赦し、支え合うことによってのみ実現する内的なものだということだ。


小さい者、まずしい者にこそ天の扉が開く、子供のように純粋な者はもう救われている、神の国にいるのだという。


それに対して、使徒たちの方は、そのような内向きの福音ではなく、自由と正義と真実を勝ち取るための気概に満ちた戦いに出かける気が満々である。

このマグダラのマリアの考え方も、フェミニズム神学と同じで、神の国は死後の世界や最後の審判の後で実現するものではなく一人一人の良心に従ってこの地上に実現するべきものだという新しい神学の流れを受けている。新しいといっても、こちらの方が、イエスのもとのメッセージに忠実だ。

この傾向、つまり、既成秩序、体制、組織としての「教会」は、実はイエスの望んでいたものとは乖離していて、特権的な人間の欺瞞である、という批判は、使徒ペトロの継承者であるとされるローマ教皇を戴くカトリック教会の歴史の中で何度も起こった。アッシジのフランチェスコなどはその典型だ。


その決定的なものが、16世紀の宗教改革でプロテスタントタント諸派がローマ教会と袂を別って、宗教共同体の固定した典礼や教えでなく個人の信仰、神との関係のみが救いに結びつくとした事件だろう。

アッシジのフランチェスコの名を継承した今のローマ法王であるフランシスコ教皇も、キリスト教の本源を忘れない。

神学哲学の教養も深い人だけれど、その率直な話し方や、キリスト者は「教会」の外に出て積極的に女性や子供や弱者に寄り添うキリスト教のルーツに還るべきだと連呼しているのだから、この教皇がマグダラのマリアを「復権」させたのも不思議ではない。

逆に、このような教皇の態度は、盤石の体制としての教会には「不都合」なものだから、教皇を「現場のことしか知らない単純な南米頭」として批判する勢力もカトリック教会にある。

フランシスコ教皇の「不都合さ」はイエス・キリストの不都合さに通底している。

2018/2/16に発せられた教皇のtweetはそれを物語るいい例だろう。


ネットで公開されている公式の日本語訳を引用すると、


「イエスのメッセージは厄介なもので、わたしたちを厄介なことに巻き込みます。というのも、それはこの世の宗教的権力に挑み、多くの人々の良心を刺激するからです」とある。

このことに関して、『カラマーゾフの兄弟』の中にある大審問官のエピソードを持ち出す人もいた。中世のセビリアに再来したイエス・キリストが人々の心をつかむのを見た異端審問が、イエスを逮捕するというこのエピソードは有名だ。(日本語で説明しているものをネットで検索したら、松岡正剛さんの詳しいものが出てきた。(でも、多神教文化の日本では別の読み方をすべきだとか、イエスの三つの「方針」だとか、松岡さんにもドストエフスキーにも突っ込みどころが多すぎるのだけれど、ここでは書かない)

まあ、ローマ・カトリック教会の奇跡というのは、まさに、イエスを「不都合な分子」として葬ったローマ帝国がキリスト教を国教にして、結果的にヨーロッパ・アカデミズムを育てて「近代」を作り上げたところにあるわけだが、マグダラのマリアのおかげ(?)なのか、「子供のように汚れのない」「罪のない」ものが天国に行く、というようなシェーマも常に存在し続けた。


エデンの園の智慧の木の実の昔から、知性は悪魔と相性が良く、なんでも知性で割り切ろうとする者は傲慢であって、信仰とはまさに問わずに信じることだ、という類の言説の歴史も古い。

その「問わずに信じる」ことを「蒙昧」だと切り捨てる歴史も近代のアイデンティティの一つとして長いので、その反動として、「理屈抜きで子供のように信じること」の徳をあげつらう伝統も長く続いたわけだろう。

このことはある意味で、日本で「子供は七歳まで神さまからのあずかりもの」として尊ばれる(?)心性と似ていなくもない。

これに対して、アダムとイヴが生殖可能年齢の大人として造られたのだからキリスト教文化圏では大人が基準で、子供は厳しくしつけられる、日本は子供に甘く子供天国だ、などと論ずる向きもあるけれど、実は、キリスト教文化圏においても、「子供の方が無垢で天国に近い」という発想は根強いというわけだ。


その集大成みたいなのが『星の王子さま』で、この作品の人気はまさに、「子供イコール天使」観なしには考えにくい。(続く)





by mariastella | 2018-04-10 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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