『マグダラのマリア』その3 テレーズと星の王子さま(これは前の記事の続きです) 使徒としてのマグダラのマリアの近年における「復権」は、女性へのセクハラ抗議がこれほど「市民権」を持つようになった今の時代性と無縁な現象ではない。 けれども、フェミニズムには、「女性も男性と同等の知性や能力がある」という主張と「女性には男性にはない直観や共感力がある」という主張の両面のニュアンスがある。 その後者の考え方は、父権社会の中で長い間女性が「女子供」としてくくられてきたことの反動で、「大人が知性の獲得と共に忘れたり失ったりした神や自然に近い感性を(女や)子供は持っている」という見方を生み出す。 カトリック教会は、14歳で修道院に入って24歳で死んだリジューのテレーズが唱えた、「幼子のような小さい道」を評価してテレーズを「教会博士」の列に加えるという不思議で巧妙な決定をしている。抵抗せずに十字架上でみじめに殺されたナザレのイエスが復活した(しかも逮捕された後で弟子たちには逃げられ、復活した後もすぐには信じない者もいた)というルーツの持つ逆説には合致していないでもない。 確かに、福音書のイエスは救いにおける子供の優位 ?を語ってはいた。 >>>イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 (ルカ18,15-16)<<< というものだ。 弟子たちは、当時からしっかり「大人の論理」を掲げていたようだが、まあ、このおかげで、今もカトリック教会のミサの途中で赤ん坊が泣き出しても、叱られることはない。「日本と違ってヨーロッパでは子供のしつけが厳格だ」という先入観は裏切られる。 で、『星の王子さま』はこのような、「子供は大人が失った純粋な魂を持ち、偏見もなく、真実を見る心を持っている」式の、大人が勝手に作ったステレオタイプの子供称賛バイブルだという批評がある。 「大人になってしまったあなたに」捧げられている本であって、子供に捧げられているわけではない。 日本でも有名な「本当に大切なものは目に見えない」とか「大切なものは心の眼で見る」というのも言われてみれば確かに、プラトンとパスカルの転用で、そんなセリフをキツネと子供の間で言わせると、「子供は大人より真実を見る」という幻想になる。 星の王子さまやキツネや神の国の子供たちは、もう子供ではなくなり女でもない「大人の男」たちが描く「夢」なのだとも言える。 実際は、子供が本能のままに衝動的だったり残虐だったりというような例はいくらでもある。(智慧の木の実を食べてこそ ?) 分別や自制が生まれるのかもしれないし、想像力や共感力も少しずつ学び養われるものだということもできるだろう。 「信仰と理性は人間の精神が飛翔するための両翼のようなものだ」 とは、ヨハネ=パウロ二世の言葉だけれど、結局は、この映画のペトロ的なものとマグダラのマリア的なものの両方が必要で、だからこそ映画のイエスも二人に使命を託したのだ。 そのどちらかが肥大する時代にはもう片方を強調しないと精神は飛び立てないということなのだろう。 それにしても、私も、子供の頃に『星の王子さま』を読んだが、強烈に心をつかまれたのはプラトンやパスカルの言葉ではなくて、冒頭の、象を丸呑みにした大蛇の絵だった。 帽子にしか見えない第一の絵をすぐに大蛇に消化される象だと見抜いた王子さまの登場が鮮烈だった。 これはもう、「つかみ」の勝利だなあ、と思う。 あの「帽子」の種明かしという冒頭の「つかみ」がなかったら、『星の王子さま』が世界的なベストセラーになることはなかったのではないだろうか。 プラトンも、パスカルも、ドストエフスキーも、「どうしてただの帽子がこわいんだね ?」と言うに違いない、と思う。 『マグダラのマリア』から話が脱線したので、ここでひとまずおしまい。
by mariastella
| 2018-04-11 00:05
| 宗教
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