Q 3 修道経済のどの点が、代替経済(オルタナティヴ・エコノミー)の一つをインスパイアできると思われる特徴なのでしょう?
A 修道経済は基礎となる二つのアスペクトに依拠しています。
私有財産の放棄と必要経済です。
私有財産の放棄とは、個人的には誰も何も私有していないと言うことから成り立ちます。たとえば、修道女や修道士が「私のボールペン」という言葉を使わずに必ず「私たちのボールペン」という言い回しをする修道院があります。私有の放棄は、モノだけではなく権力やガバナンスにも適用されます。理論的には、修道士は、他の修道士に対して何の権力も持ちません。たとえ修道院長であっても同じです。けれども、生活上の現実から、やるべきことの目標というのは存在します。実際の修道院では、力の構造がとてもうまくオーガナイズされています。修道院長の他に、顧問や、参事があるだけでなく、同じ修道会の他の修道院長の訪問というものがあります。これらのシステムによって、修道院長がグル(尊師)化するのは非常に難しくなっています。
(同じ修道会の他の修道院長による視察、訪問、修道院の交替、などのシステムが、閉鎖され固定された環境での絶対者や独裁者の誕生を防ぐというのは、体験的な知恵も働いているのだろうか。このシステムはなんだか、フランスのグラントリアンのようなフリーメイスンにも似ている。各ロッジのマイスターは同格で、互いの交流もあるから、ある意味で牽制もしあえる。全ロッジをまとめるグランド・マスターは任期が長くないし、名が公表されて社会的政治的コメントもするのでこれも逸脱はできない。いや、フリーメイスンの方が修道会システムを踏襲したのだろうか。独身制で世襲がないのにかかわらず1000年以上も絶えなかった修道会が試行錯誤して積み上げたノウハウというのはいろいろな形で浸透している。でも修道会が院長の独裁化の誘惑なしにやっていけるのはやはり何といっても、神という超越を共有しイエス・キリストというシンボルを持ち、しかもそのキリストを各自が内面に取り込んでいるという構造にあるのだろう。生きている人間の神格化を絶対否定するのが安心の基礎にある。)