(これは前の記事の続きです)
Q 6 「他者との関係」というのも修道経済の特色ですね。
A ええ、そのベースは「他者性」を認めることです。各人はそれぞれの価値を持つ異なる人格であり、あるがままに尊重されるべきです。基礎となるこの認識が受け入れられた時点から、「パーソナライゼーション(個性化)」の追求を避けることができます。例えば、世俗社会に置けるように、服装によって自分についての情報を発信するというようなことが必要なくなります。
私の調査においては、特に、修道者で芸術家である人に注目しました。彼らは多くの場合かなりユニークな人たちです。みなと同じ修道服を着ているからと言って、キャラクターのオリジナリティが薄まるということはないのです。
(全ての人がそれぞれの特性をもつオンリー・ワンであることをみなが認識しさえすれば、逆に、「他人と違う個性」を演出する必要がないというのは興味深い。修道院と言えばみなが同じ服を着て同じ時間に同じ典礼に従うというイメージがあるから、没個性であり、自分らしさを発揮できない世界ではないかと思われがちだけれど、その逆で、表面的にみんな同じで平等であるからこそ、自分自身であり得る。他者からも内面的な違いがよく見えるのでリスペクトしてもらいやすい。
確かにそうかもしれない。世俗社会では無理やりに社会規範に合ったヒエラルキーを反映する服装規定みたいなものがあるからこそ、そこから逸脱しないように苦労するとか、逸脱する人を非難するとか、反発して奇矯な服装で挑発するとか、特殊であることを個性だと勘違いするとか、いろいろな葛藤や無駄な時間や無駄な出費がある。ファッション市場には「自分らしさの追求」という言葉による誘惑があふれている。
もちろん修道服も一般社会に出ればコードなのだけれど、修道院のミクロな生活圏では、非常に合理的なシステムで、外的なセルフ・プロデュースなど必要なくなる世界だ。これを可能にするのが基盤にあるリスペクトなのだろう。)