(これは前の記事の続きです)
Q 7 その「他者性」を認める原則に基づいて、ある修道者に仕事を任せる基準はどうなりますか?
A それぞれの修道者に見合った任務を与えるのは修道院長の責任となります。同時に、修道院に必要な仕事のすべてにおいて適切な修道者を見出すという責任もあります。けれども、仕事の内容と報酬が対応しているわけではないので、ある修道士に、その仕事における利潤率によっては正当化されない仕事を与えることが可能です。とはいっても、役に立たない無駄な仕事があるというわけではありません。他者への関係性は仕事との関係性にも反映されます。自給的な仕事と報酬が発生する仕事は同じレベルで尊重されます。一般社会では、家庭の母親が育児をする労働は国の経済指標である総所得(GNI)の中に計算されていません。母親が育児係を雇って給料を払う場合には計算されます。
(これも本質的な問題だ。修道院には、自分たちの生きる分の自給自足の食料生産をしたり、料理、掃除、洗濯、メンテナンスをしたりなどの家事的労働も多いが、チーズ、ビール、クッキー、各種の食品から陶器、レース編み、キルトなど「商品価値」を持って販売されるたくさんの生産労働もある。利益率で労働を評価するわけではないから、その二つは同じレベルにある。それが実現している世界では何が起きているのかというと…)