4/28の朝の特別編。昨日は南北会談を見て、キリスト教と共産党の出会いだなあ、と思った。
キリスト教と、その無神論ヴァージョンである共産党は、どちらも、国境のない普遍主義として出発し、そのポテンシャルも有しつつ、結局、互いに互いを否定することから出発して全体主義の道をたどってしまった。
韓国は、キリスト教への帰属意識が実際に機能している人が多い国で、日本や中国からの脅威に対抗するとき、キリスト教アイデンティティを武器の一つにしてきた。
でも、反共法や国家保安法によって、共産主義や共産党を禁じる自由諸国唯一の国である。
とはいえ、今回の南北対談の前に日本共産党の志位さんにインタビューしたり、平和宣言が、キリスト教と共産主義の和解でもあることを自覚している。
ムンジェイン大統領が熱心なカトリックで、就任後 すぐにヴァチカンに特使を送るなどして根回しを始め、今は北朝鮮にも国家の監視下とは言え、戦後閉鎖された修道院が開かれたり、韓国キリスト教を通した修道会からの援助も始まっている。
金日成の宗教的背景については近刊の本で解説したが、金正恩の宗教的教養については分からない。
けれども、普遍主義ツールとしてのキリスト教の重要性は理解しているはずだ。ソ連崩壊の前後のロシア正教の役割とか、中国とヴァチカンの微妙な外交戦についても研究しているだろう。
けれども、このキリスト教と共産主義の「出会い」は、互いの全体主義を引きずっている限り、もう一つの「国境のない普遍主義」である拝金主義、高度自由主義経済に、呑み込まれるだろう。アメリカがどう出るかというのは、結局、トランプではなく巨大な軍産複合体の利権にかかっているからだ。
二十世紀前半に朝鮮半島を併合して敗戦の混乱を深めた上に朝鮮戦争特需で「復興」を進めた日本が、平和主義を普遍主義として東アジア平和共同体を推進していくべきだと思う人は少なくない。
でも今の日本の内政の混迷を見ていたらそんなことは夢のまた夢なのかも。