沖縄を考える その3まず、最初の観光ハイヤーの安慶名さん。 姓が沖縄っぽかったので、地元の人だと判断し、朝鮮半島の南北会談のすぐ後だったので、それを話題にふってみた。 「南北会談の平和宣言よかったですね、沖縄の人は歓迎しているでしょうね。北朝鮮のミサイル危機がなくなったら、もう基地も迎撃ミサイルも必要ないのでは」 というと、あっさりと、「朝鮮は関係ないです」と言われた。 「問題は尖閣ですから」と。 朝鮮戦争の時も、ほとんどは九州の基地から出撃したので、沖縄は限定的で、もちろん「特需」もなかった、という。 トラウマはなんといってもベトナム戦争だったという。最盛期には多くの兵士がやってきて来て、戻ってこなかった。治安も悪くなり、B52が飛び交うのを見て育った。 沖縄返還時は12歳だった。 復帰は嬉しかったが、「祖国復帰」の祖国という感覚はない。ただひたすら、基地がなくなることを望んでいた。復帰したら米軍がいなくなると思った。ところがそうはならず、むしろ増えた。怒りに震えた。 「祖国愛」などはない。祖国アイデンティティは親や祖父母の代で終わっている。 祖父母、叔父らは戦死した。自分は日本語教育を受けたが、親の時と違ってもう国家主義のない時代だったので、愛国意識もない。 中国との付き合いの方が長い。薩摩への悪感情は根強かった。 日本名と沖縄名と二つ持つこともある。琉球奄は奄美三文字姓が多いが、薩摩は奄美の性を一文字の中国風にして、幕府に対して独立国である振りをさせた。 農漁業に関わる民俗宗教行事はずっとあった。王は仏教徒だったけれど、知的なアプローチだった。(最初は漂着した日本の仏僧によって仏教を知った。後に朝鮮から大蔵経を譲り受けた。) 普天間を変換してくれるという合意があるから辺野古へ移転だったのに、辺野古がいつまでもできないから、普天間は返還されない。 翁長さんは結局何もできなかった。 それならばまだ、自民党を通した方が政府に声が届く、だから名護市長戦の流れが変わった、 もう、辺野古の反対はやめて、ともかく普天間の返還を実現してほしい。毎日のリスクが大きすぎる、という返事だった。 「普天間の返還合意など守られるはずがない」という認識はないようだ。 とにかく、基地がなくなることだけが願いだ、という。 米軍基地がなくなっても自衛隊がそのまま使うのではと聞くと、自衛隊なら事故があっても調査もできると補償もあるし、規律もあるから話がまったく違う、と言う。もっともだ。 基地経済との関係はどうですか、と聞くと、観光産業が圧倒的に上まっているから、基地がすぐになくなってもまったく困らない、とのことだった。とにもかくにも基地がなくなってほしい。
戦争で焼けたので、最初から残っているのはこの湧き水の竜の口だけで、 その池は各国の使節の接待に使ったもので、琉球国にはいわゆる軍隊というものがなかった、朝貢、接待と外交のみで生き延びていた、と言う。 軍隊がなく外交のみで処世していた国が「基地の島」になったとは本当に皮肉で気の毒だなあ、とその時は思ったけれど、15世紀に沖縄を統一した覇者の中山(ちゅうざん)の巴志は、もちろん武力で豪族たちを攻め破ったのだ。 それに、後で購入して読んだ『琉球王国の歴史(月刊沖縄社)』によると、1816年にイギリス艦隊が停泊して礼砲を撃った時は、「いざとなったら鐘を鳴らすから首里那覇の15歳以上の男子は竹槍を持って集まれ」と、王府は130年後の沖縄戦と同じ命令を発していたそうだ。 観光ハイヤーを使う人の中には、戦跡を回る人や、基地関係の取材もあるそうだ。 秋の知事選の見通しなどもいろいろ話してくれた。 こういう政治の話でもすぐ答えてもらえるということは、沖縄の方はどなたでも基地問題についていつも考えていらっしゃるのですか、と聞くと、それは、日常的によく話したり考えたりしている、ということだった。 なるほど、さすが沖縄、と思ったのだが…。(続く)
by mariastella
| 2018-05-15 00:05
| 沖縄
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