(これはひとつ前の記事の続きです)
ハイヤーの運転手さんの話をいろいろ聞いて、沖縄の人が日常的に基地問題と向かい合ってきた歴史を実感した後で、リゾートホテルに戻る。
ホテルのスパで海藻スクラブマッサージを施術してもらう。
私の他にいたお客は中国人女性で、英語でやり取りしているが話が通じていない部分もある。
台湾からは直行便(沖縄行きではなく中国名の琉球行き)があるそうで、ホテルには台湾の方がとても多い印象だ。
施術してくれた若い女性は地元の人ということで、基地問題についてどう思うか、とたずねてみた。ハイヤーの運転手さんが熱心に話してくれたのでハードルが低くなったのだ。
すると、
「基地があった方がいいか、なかった方がいいか、ということなら、私は、あった方がいいですねえ」
という答え。
「えっ? どうして?」
「カーニバルとかでいろいろな催し物があってダンスも見ることができるんです。」
「自由に入れるんですか?」
「身分証明書が必要で荷物検査はありますけど、友達といっしょに普通に入れてもらえます。時々イベントがあるんです」
「見物できるということ?」
「それだけではなく、ピザハットとかダンキンドーナツとか、外では食べられないものが食べられるんです」
なるほど。
「沖縄戦で亡くなったご親戚とかはいないんですか?」
「祖父とかは招集されてグアムに行っていて助かったみたいです」
「でも、沖縄戦の歴史とか習うんでしょう?」
「ああ、平和学習っていうのはありました。でも、基地はイベントがあるから、あった方がいいです」とにっこり。
明快だ。
ピザハットにダンキンドーナツ…。
その後に目を通した資料によれば、今の若い人たちの中には、大学生でもオスプレイという言葉を聞いたことがないとか、辺野古の反対運動のことも知らないという人もいるそうだ。
当の沖縄ですらこうだとしたら、「本土」の子供たちが沖縄の場所も知らないというケースも不思議ではない。
時間が経って記憶が薄れるとか、慣れてしまうとかいう以前に、歴史の継承について、何か大きな「質」的な転換が起こっているのかもしれない。
(続く)