L'art de croire             竹下節子ブログ

今さら言ってもどうにもならない「悪の等級」

アメリカとイスラエルの、国際条約をあっさり無視した実力行使を見ていると、第二次大戦後のシオニストによる「洗脳」がいかにその後の世界を危険なものにしていったかをあらためて痛感せざるを得ない。


もとより、人が無抵抗の人の命を奪うというのは、大量破壊兵器による無差別攻撃であれ、一人の「通り魔」がたった一人の通行人を刺し殺すことであれ、まったく同じ「悪」である。命の尊厳に数や状況の格差などない。

けれども、ナチスによるホロコーストを経験した後でシオニストたちは「悪」に等級をつけた。ナチス政権の下で命を奪われたユダヤ人の「ホロコースト」が、人類史上絶対の悪だと位置づけられたのだ。私も昔からそういう言辞ばかり見聞きしてきたから、そういうイメージを持っていた。

そして、このような人類最大の悪業の犠牲者となったユダヤ人がようやく築いた約束の地イスラエルは、もう、二度と無抵抗の被害者となることを拒否して「力」をつけ、「力」を行使するのが当然であり、正当化できるというのが繰り返されてきた。

でも、もし、「悪」に等級をつけるという同じ土俵に乗るならば、「広島長崎に落とされた原水爆」の方が、もっと重大ではなかったろうか。

実際、ヨーロッパが、この原爆のニュースを知った時点では、「ガス室」よりもはるかな大きな実存的衝撃を与えた。

しかし、ユダヤ人ホロコーストの背景には長い間のキリスト教によるユダヤ人差別や対独協力があるから、その後ろめたさと贖罪の意識が、ヨーロッパ人に、シオニストによる「人類最大の罪であるホロコースト」という題目を、刷り込まれるままにさせてきた。


ユダヤ人犠牲者が被った「悪」は、同じガス室で殺された障碍者やキリスト教徒たちが被った「悪」よりも深刻な「悪」だということがなんとなく既成事実になってきた。アルメニアでのホロコーストよりもアウシュヴィッツでのホロコーストの方が重大だ。「悪の陳腐さ」どころか、人類の犯した「特別悪」カテゴリーができたのだ。 

それはアメリカにとって極めて都合のいいことだった。

結局、アメリカの原爆投下は一度も「人類に対する罪」として国際社会で正式に弾劾されることはなかった。アメリカにはシオニストたちの「ホロコースト特別悪」論を支持し強化する理由がいくつもあったが、「原爆=悪」というシェーマを作らせず、核装備を正当化するために役立つというのも間違いなくそのひとつだった。

日本においてですら、アメリカに占領統治されたから当然とはいえ、「原爆投下に至ったのも、もとはといえば日本の軍国主義が悪かった」という「反省」とセットになってそれは語られてきた。 

でも、本当は、あの時もし、世界中が、ホロコーストと同じくらいに、「核兵器は絶対悪」で二度と繰り返してはならないことで、廃絶すべきものだと厳しく弾劾したとしたらどうなっていただろう。


ひょっとして、その後に続いた、核開発競争、抑止力の論理、核実験から原発に至るまでの、人類の環境を脅かすあらゆる「核エネルギー」のここまでの暴走はなかったのではないか、などと思ってしまう。

広島長崎の原爆を「この過ちは繰り返しません」ではなく、ホロコーストのように「絶対悪」として世界中に執拗に刷り込むというロビーがもし存在していたなら、今の世界の様相は変わっていたかもしれない。

もちろん、ガス室で殺されたユダヤ人も、ISに殺された多くの人々も、戦争で日本兵に殺された人々も、原爆ではない空襲で命を失った人も、「力によって他の人の命を奪う」という同じ「悪」の犠牲者であって、そこに悪の等級などはない。一個人から人格を奪い尊厳を損なうという意味では、慰安婦の設置だって、同じ「悪」から発している。

けれども、もっというと、それらの「悪」を導いたものは、私たち一人一人の心の中にある陳腐な利己心や保身と同じルーツを持っている。

シオニストたちが「もう二度と反ユダヤ主義を放置しない」とし、過剰防衛のように「攻撃」する側に転換した末に、パレスティナに平和は訪れていない。そればかりか新しい反ユダヤ主義が生まれ、ネオナチまで生まれている。

世界中には地球も人類も全滅させるほどの核兵器があるし、核実験や原発事故や廃棄物などで、環境はもう十分汚染されている。

その重大さを思うと、人類は広島長崎の後で、核兵器を「特別悪」枠扱いにすべきだった。

どうしてあのような「冷戦」構造にむざむざ向かっていったのだろう。

思えば、ものごとがはっきり見えてくるのに半世紀もかかった。

今、次著の共産主義革命についての章を校正しながら、いろいろな思いがよぎる。


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by mariastella | 2018-05-19 00:05 | 雑感
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