5/1に斎場御嶽やガンガラーの谷に連れて行ってもらった観光ハイヤーの運転手さん當銘さんには、ユタやノロについていろいろお話をうかがった。
どの地域にも一人いるユタだが彼も若い頃はまったく興味を持っていなかった。けれども結婚するにあたって、一家を構えるのだから、大人たちがしてきたことはすべてしておくように、と言われて、ユタのところにはじめて行った。
ユタは元グスクの近くに集められていたので、名前に「城」がつく人が多い。
彼の地域のユタは山城さんだった。家族の将来などについて一つずつ予言がなされるのだれど、彼の場合は、長男についてだけが不思議にあたっていた。怪我を予言された後で事故に遭ったというのだ。「予防できないのなら意味がないのでは?」と質問したが、ともかく、それからは、長男については何でも相談するようになったという。
子供たちも巣立って長らくご無沙汰していたが、最近妻が悩み事を抱えて山城ユタをたずねていった。すると、もう高齢なので、体力が持たないので霊媒はできないと言われて戻ってきたという。
「霊媒」としてお告げを聴く時の心は心身にとても消耗する重労働だからだそうだ。
ユタやノロの暮らしは代々共同体から支えられているけれど、今は後継者がいなくて大変だともいう。
共同体のおかかえ占い師のスタンスのユタと違って、巫女的な位置づけのノロの場合はもっとたいへんで、ノロが集中している久高島出身の人などは、本島で誰かと付き合っても、結婚話が出ると、「久高島出身」というだけでひかれてしまうので、なかなか結婚もできず、後継者もいなくなるそうだ。
もちろん基地についての話もいろいろ聞いたのだけれど、この方は歴史好きで、図書館から借りてきたという『首里城内の女たち』という本を貸してくれたので、車の中で読んだ。
この中の第四話に尚灝王(しょうこうおう)の名吟というのが出てくる。
上下やつまて 中や蔵たてて
奪ひとる浮世 治めくれしや
国王や人民は困っているが中の役人たちは蔵を建てるほど利益をむさぼっている。実に治めにくい世の中だ
という意味だ。なんだか、実感がこもっている。
同じ本の中に、沖縄で迫害されたキリシタンの男の話があった。『切支丹里之子』というタイトル。
山本秀煌の『近世日本基督教史』の中に、過去に琉球政府からベトラム(ベッテルハイム)の護衛につけられた青年が梁木につけられているのに遭遇したエピソードが引かれ、プロテスタントだけではなくカトリックの最初の信者もいたと書かれている。
1844年にフランス軍官アルメーヌ号で来球したフランスの司教フォルカード師がアウグスチヌス高という中国人の神学生を伴って泊村天久聖現寺に2年間留まって以来のフランス人宣教師たちの様子と洗礼を受けた立った一人の琉球人の話だ、
ちょうど、前の日に沖縄のカトリックの方々とお会いして、『キリスト教の死生観と沖縄における望ましい祖先記念行事のガイドブック」(沖縄宣教研究所――宗教と習俗委員会)という小冊子を読んだところだったので、興味深かった。
明治維新以来の、国家神道の押しつけと民間信仰とキリスト教の関係について、沖縄で起こったことは日本で起こったことの縮図のような部分がある。
これについてはまた別のところに書くことになるだろう。(続く)