最近TVで2本の映画を続けて観た。
そのひとつ。
2015年のカンヌでグランプリに輝いて世界中で評価された『サウルの息子』。
もうこういうナチス告発ものは見ていて気が重くなり暗くなるのでスルーしていたkだけれど、アウシュビッツ-ビルケナウの収容所内での出来事という何度も告発されてきた映画とは別のテイストで最後まで見てしまった。
ハンガリー人の監督ネメシュ・ラースローの初の長編映画ということにも驚く。
しかもたった一人の主人公(ゾンダーコマンド=ナチスの側で働かされているユダヤ人)の心の動きと、それが、課せられているルーティーンを超えさせていく僅か一日半の出来事をすごいリアリズムで描いている。
ハンガリーという視点を入れたことで、収容所におけるドイツ語とポーランド語とハンガリー語、ユダヤ教の共通の祈りのことなど、複雑な「ことば」の世界がはっきり分かる。
監督は、少年時代からずっとフランスで暮らし、もちろんバイリンガルで、「映画」文化的には完全にフランス風の人だ。実際この映画もフランス語で撮るフランス映画になるかもしれなかった。
結局、ハンガリー語にこだわり、主役の俳優もアメリカ在住のハンガリー人を起用し た。
存在感がある。
ハンガリー語を通じて、やはりナチスに協力させられているハンガリー人医師が主人公に協力してくれる。
主人公のサウルという名はイスラエル最初の「王」の名で、姓のアウスレンダーというのが「外国人」という意味であることもシンボリックだ。
ゾンダーコマンドは70人ほどいて(時々殺されて入れ替えられる)、頑健で専門技術があり、食事もよく、衛生状況もいい。その現実と、同胞を獣のようにガス室に送りその遺体の始末をすることの落差の中でみなが心を病んでいる。
この映画ではじめて知ったのは、働く女性でレジスタントに関わる人がいてゾンダーコマンドのレジスタントの試みと連絡を取っていたということだ。
この女性たちの、はユダヤ人女性から選ばれて収容所で働いているのではなくて、ポーランド人レジスタント女性闘士だと思うのだけれど、その辺ははっきり分からなかった。
ストーリーのディティールはゾンダーコマンドたちが埋めて残した巻物や少数の生存者の証言に依っている。たとえば死体処理の証拠写真を撮るシーンがあるが、それも実在している。
この映画、「追体験」を強いられるようで、若い人の感想の中にはロールプレイのようだ、などというものがあった。
ゲーム感覚の追体験ができる世代と「無知であることに罪悪感」を抱える世代の追体験の間には何か超えられない質的なものがあるのではないかとも思ってしまった。