先日ヘアサロンで手に取った週刊誌パリマッチ誌に、すっかり痩せて30年前と変わらない若さと美しさのイザベル・アジャーニが『イザベル・アジャーニの春』というタイトルのインタビューに答えている記事があった。
インタビュアーである男性作家から「何というスタイル!」という第一声。
読んでいるだけで、女性の体形をすぐに口に出すのは、昨今ならセクハラ?という気遣いが起こらないでもない。
セクハラ告発の嵐の中で、カトリーヌ・ドヌーヴらが、男性が女性にお世辞を言う権利、ギャラントリーの文化について声明を出してすぐに「炎上」してしまったことは記憶に新しい。でもアジャーニは「あれはアッパー・クラスの女性にのみ通用することだから」とこの記事で答えている。
その自分自身が、若い頃の体型を取り戻したことを真っ先に賛美されて、余裕で話を続けているのは、もちろん彼女自身が「アッパークラスの女性」だという認識があるからだろう。
シェイプ・アップすること、痩せることについては、ダイエットなどで自分を囚人にしてしまうのは意味がない、自然食品、運動、瞑想などでゆっくり自然にシェイプ・アップするのがいい、と自分の体験を話しているのだけれど、自然食品、運動、瞑想などという三点セットで自然に健康に痩せる、というコンセプト自体が、「アッパークラス」的と言えないでもない。
さらに、
「大切なのは、美しくあることではなく、自分を美しいと感じられることだ」
「女性として自分を美しいと肯定的に見られることこそが自由の旗となる」
などと言っている。で、自らは業界大手のロレアル化粧品の顔を引き受けている。
ロレアルと言えば「ロレアル ― あなたには価値があるから」のキャッチコピーで有名だし、70歳のスーザン・サランドンなども「顔」として起用している。
イザベル・アジャーニの語るイメージは「Sois belle et t’es toi」だ。
この t’es toiというのは、tais-toiとのかけ言葉だ。
Tais-toiなら、黙っていろ、ということで、
「女性は見かけがきれいならばいいので口は開くな、意見を言うな」というニュアンスなのを、
t’es toiなら、君は君である、つまり、「あなたは美しい、あなたはあなたである」「美しい時こそあなたは本当のあなた」というフェミニズム的美の賛辞となる、というわけだ。
要するに、「他人のために化粧するのでなく自分のために化粧する」という発想の転換と言いたいのだろうけれど、そういう自分磨きの「美しさ」の規準だって世間や社会や時代と無縁ではない。
女性が自分で自分のことをきれいだと思えることのハードルは「見かけ」よりもずっと高いともいえる。
世間の基準に照らした時、ダイエットや整形手術では決して変えられない、持って生まれた「マイナス点」というものはあるし、老化や病気という「マイナス」もある。
また、「女性として」の見かけを自分で肯定できない人や拒絶する人もいる。
そもそも人は自分の「見かけ」をナマで把握することすらできない。
「見かけ」に左右されるような存在の良好感を「自由」の出発点にはしたくない。