聖体と核分裂? 聖体の祭日の話(続き)これは「父の日」の日曜日のミサの後のアペリティフとランチの招待状。 「教区がカナを祝う ! / (結婚式かい・・・)」 (聖書に出てくるカナの婚礼にかけている)
「体を大切にしたまえ、魂がずっと住みたがるようにね ! / (そしたらもちろん体も残ることになるしさ)」
「神は料理の中にもいる ! / (料理に失敗してもね !)」
「マクロン祭りより楽しいぞ !/ (あ、マクロンが来てももちろんOKだよ)」 (マクロン祭りというのは最近行われた反政府デモのネーミングだ)
などなど…。 実際、この教区、子供連れの若い夫婦などがたくさん出席する傾向がある。
ヴェリエール師の説教は、ベネディクト16世(B16)が教皇になってすぐ出席したケルンのワールドユースデーに若者たちを連れて行った時の話から始まった。
ケルンでの開催を決めたのはヨハネ=パウロ二世だったが、B16はドイツ人。ケルンでの若者の歓迎はすごくて「ベーネデーット、ベーネデーット」と連呼されたらしい。 B16は遠慮がちに片手をあげて応え、次に両手を合わせた。そして、若者たちに背を向けて、聖体の前に跪いて動かなくなり、若者たちはしーんと静まり返った。
B16は聖体のことを「核分裂」に例えたそうだ。 イメージとしては、目に見えないレベルで激しい反応が起きて大量のエネルギーを発するという感じだろうか。それまでの「自然」が「超自然」に変換されるという。 死者が生き返る、だけでは「魔法」や「魔術」だけれど、「最後の晩餐」のイエスは、自分が死ぬことを分っていながら、自分の体を無酵母パンに託して弟子たちに与えた。つまり、「死ぬより先に死を犠牲として与えることで先取りして死に打ち勝った」というのだ。
うーん、新訳聖書の成り立ちやら教義や神学の歴史をいろいろ考えると、まあ、こういう言い方が「正しい」のだろう。で、典礼の歌にも、「私の体を食べなさい、あなたはもう決してひとりではない」とか「永遠の命を与えられる」などという言葉が並ぶ。
また例の「おひとりさま」のことや、「合理主義の知識人が老いてから宗教に入信するのはいかがなものか」という自称「棄教徒」の上野さんの言葉が思い浮かぶ。 確かに、人間は所詮ひとりで死んでいくのだし、「子や孫」もあてになるかどうかなど分からないのだから、「イエスと結婚する」という修道者だのお遍路さんのようにイエスと「同行二人」と考えて「もう決して一人でない」と「妄想(上野さん用語)」するのも「処世術」の一つかもしれないし、それを潔くないと思う人もいるのかもしれない。 「永遠の命」と言われても、つい、最近耳にしたウディ・アレン(もとはカフカの言葉だという説もある)の「永遠は長い、特に、終わりの方が」(Eternity is a long time, especially towards the end.)なんて言葉を思い出してしまう。
などと、雑念満載で聞いていたけれど、ルヴェリエール師が「信じきって」「なりきって」永遠のスパンで生き、話しているのは伝わる。
「聖体を拝領する時にアーメンと合意をすることが大事だ。キリストが体をくれるのにこちらが言葉だけというのは交換として釣り合わないけれど、合意するところに聖霊が働き、自分だけがイエスの体になるのでなく、聖堂全体が、共同体全体がキリストと一体化する。インターアクションが必要だ」
もっともだ。 それにしても、ミサを挙式する司祭さんって大変だなあ、と思う。 本当に民間信仰や新興宗教のノリで、会衆が信じたりすがったり崇めたりする気満々の時代や場所ならいざしらず、本気で「神降ろし」をしなければならない。 独身制のカトリックの司祭は特に、親子代々ってことはあり得ないから、「召命」って本当にあるんだなあ、とあらためて感心した。(感心でなく改心しろよ、といわれそうだけど…)
by mariastella
| 2018-06-10 00:05
| 宗教
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