アメリカとイスラエルの関係なんとなくイメージはあったけれど、はっきり言葉にされると思わずたじろぐ、という類の言説がある。最近読んだレジス・ドゥブレの論考にそれが出てきた。
アメリカとイスラエルの関係についてだ。 アメリカが大使館をエルサレムに移転したことでパレスティナ情勢の火に油を注いだとヨーロッパ諸国は非難している。
アメリカとイスラエルの「癒着」といえば、数々のユダヤ「陰謀論」を別にしても、 「アメリカの軍産コングロマリット」と 「ユダヤ金融資本」 との利害が一致しているから、イスラエルの核保有を含むアグレッシヴな政策が止むことを知らないのだという見方が一般的だ。 トランプの娘がユダヤ教に改宗していることなどを見ても、ユダヤロビーが強力なのはもっともだ、という印象をもってしまう。
ところが、これをあっさりと宗教のバランスでひも解くと次のようになる。
どちらも歴史の浅い二つの国の成り立ちは似ている。
建国の「神話」が共通している。 「選ばれた民」 「約束の地」 「植民者であると共に開拓者、パイオニアである」 「運命を切り開く確信」 「ユダヤ=キリスト教的メシア(救世主)信仰」
この共通の構成要素が、不思議な効果を生んでいる。 すなわち、イスラエルを保護する立場の超大国アメリカが、モラルの点ではイスラエルに従うことだ。 アメリカは大統領が聖書に手を置いて宣誓する国、危機が起こるとホワイトハウスで朝の祈りを開催する国、ホテルに新約だけでなく旧約聖書も置いてある国だ。 そんな国が、聖典(旧約聖書)が憲法や土地台帳の根拠を提供している国の政治に異を唱えることなどできない。イスラエルは宗教においてアメリカの「兄貴分」であるからだ。
なるほど。
これがカトリック国とイスラエルでは少し違う。 ローマ教皇もユダヤ教は歴史的には「長兄」のようなものだ、と和解の手を差し伸べている。けれども、イエス・キリストは「兄」であるユダヤ教に刃向かったわけではなかった。 ナザレのイエスはユダヤ人でユダヤ教徒だったので、キリスト教は生まれていない。そして、ユダヤ教徒なのに不都合なことを言って当時のあり方を批判したので冒涜だといって殺された。
それに比べると、アメリカの建国神話のピューリタンが生まれた「宗教改革」は、叛旗を翻したリーダーたちは一方的に殺されたのでなく、離反して自分たちこそ正しいキリスト教だと主張した。カトリックとプロテスタントは何十年も戦争状態で血を流し合った。
だから、歴史的に(西ヨーロッパ・ベースで言えば、)、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントの順で長兄、次兄、末っ子になるはずだけれど、プロテスタントはむしろ一種の「父殺し」で外に出た。激しい「家庭内暴力」の末に「約束の地」を外に求めたのだ。 カトリックはユダヤ人を「神殺し」と差別してきた。そしてその延長にあるナチスのホロコーストのせいで、ドイツや、ドイツに占領されていたフランスのような国は、その「罪悪感」のせいで、イスラエルに本気で説教することができない。(スウェーデン、イギリス、スペインなどはその「罪悪感」がないのだそうだ)
で、うちを飛び出して約束の地に「神の国」を建国したアメリカは、イタリア系やアイルランド系のカトリック移民は長い間しっかり差別してきたけれど、直接けんかしていないユダヤ人には「長幼の礼」をもって接し、選民意識を共有しているのだという。
もちろんこれによってアメリカの対イスラエル政策をすべてを説明できるわけではないし、実はアメリカにも「反ユダヤ」のレイシズム」は根強く存在する。 それでも、こういう視点で解説されると、今まで見えていなかったものが見えてきて、パレスティナ危機や中東クライシス(シリアのアサド大統領が金正恩に会うため訪朝するつもりだというニュースを聞いて驚倒したところだ)の平和的解決には、このようなところまで踏み込まないと真の安定はないのかもしれないと思う。
by mariastella
| 2018-06-11 00:05
| 宗教
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