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L'art de croire             竹下節子ブログ

カトリック教会のペドフィリア・スキャンダル その2

(これは前の記事の続きです)

ペドフィリア対策担当司教と被害者の会の代表との「対決」。

意外だった。

フランスでカトリック司教団の対策委員会がトレランス・ゼロを受けて、すべての司祭や教会内で未成年と接する人々を対象にさまざまな「防止策」を徹底して、通達していることや、チリの司教団が全員で共同責任を取って引責辞任をヴァティカンに願い出たことについて、

私がなんとなく予想していたのは、被害者側が、

そんな「防止策」では足りない、全体の体質を変えるためにチリの司教団のように徹底的に責任を取るべきだ、

と言うか、

フランス司教団の現実認識と自主的な努力は評価する、

と言うかのどちらかだった。

ところが、被害者が言うのは、違っていた。


要約すると、 


「全司祭を対象にして彼らがまるで潜在的なペドフィリア予備軍であるかのようにするのはよくない」


「チリの司教団が全員辞職というのは、実際の加害者の責任を相対化してしまうのでよくない」

ということだった。

確かに、ペドフィリアは「権威や権力のある大人が子供とふたりきりになるような状況」でしか起きないだろう。でもだからといって、そのような状況自体をすべて禁じるのは意味がない。


しつこく小動物の例を挙げると、

小動物と共に一人でいる時にしか虐待は起きないだろうけれど、

ではひとりで小動物といる人には誰でも虐待の誘惑が起こるということはあり得ない。


人の眼がないとメロメロ、デレデレになって犬や猫に愛を注ぐ人の方が多いだろう(まあそれはそれで犬猫にとっては迷惑かもしれないが)。


「自分の欲望を満足させるために小さい者を虐待する」という行為は、遺伝的、環境的、何らかの理由ですでにそのような「嗜好」を持った者が、それが可能な状況に置かれた時に「誘惑」に負けて起こるのだ。


犬猫が虐待されるケースがあるからと言って全てのペットの飼い主を集めて、防止策をレクチャーする意味はない。ほとんどの人は、ペットを飼っていない人たちよりも、虐待に対してさらに怒っているのだから。


もちろん少数の「異常者」を徹底して糾弾することは、そのような「傾向」を潜在的に持っている人が「誘惑」を自制するためにも有効だろう。ペドフィリアは連帯責任で相対化することで済ませるような問題ではない。


で、被害者の会のリーダーが言うのは、

このペドフィリアのスキャンダルについて「教会」全体を糾弾することで、99%の普通の司祭が後ろ指をさされるようになり、罵倒されたり、スカウト運動や公教要理やらボランティア活動に子供を参加させている親たちを不安にさせたりする。

ひいては神に対する信頼もなくす。激減している司祭のなり手もますます少なくなる。

加害者を守って司教団全員が引責辞任するのでは「実行犯」の責任を曖昧にする。

ペドフィリアは上への「忖度」やら上からの「指示」やらでなされる犯罪などではない。

「聖霊によって叙階された」はずの一司祭が、元の「嗜好」を満足させる機会に遭遇して犯した重罪である。

教会は、賠償などとは別に、当該司祭を徹底的に糾弾し、職務停止し、時効が成立していないなら司法の手に渡し、成立していても隔離し、「悪」を「悪」と名指さなくてはならない。


彼のこの言葉を聞いて、なるほどと思わされた。


これは、チリはもちろん、アイルランドやニューヨークでもなく、ましてやカトリック信徒が人口の0.4% 未満とかいう日本の話ではない。


「共和国主義」が「宗教」となっている今のフランスの場合だ。

今どき、子供たちをスカウト活動に入れたり、公教要理や教会のボランティアに参加させたりするフランスの家庭のマジョリティは、保守的なブルジョワ家庭であって、カトリックということがアイデンティティの一部になっている人たちが多いという現実がある。

で、そういう家庭の子供たちが、そのような活動を通して、使命感を得たり召命を得たりして、教会活動を続ける。中には司祭になる者も出てくる。今のような新自由主義経済の金権社会で、すでに「勝ち組」の家庭に育って教育水準も高い若者たちが、独身で弱者のために尽くしている司祭たちに接して、使命感に目覚め自分もその後に続こうとするわけだ。そのような「今時めずらしい」若者たちが、司祭になったり司教に上り詰めたりする。

それなのに、運悪く、ペドフィリア倒錯者の司祭にあたって被害を受けた少年たちがいた。

彼らが告発し罰してほしいのは直接の加害者だ。

司教団に謝ってもらっても「再発防止」対策をしてもらっても大した意味がない。

被害者の少年たちも、もちろんそれから教会を離れ、恨みにも思ったろうが、ブルジョワ家庭で教育水準が高いこともあり、長じて社会的には「成功」するケースがある。

トラウマの本質を考える余裕も知的な能力もあり、被害者の会を立ち上げて、他の国の被害者と連帯し援助していくスキルもあった。


一方で、そのような被害者たちの「友人」たち、つまり同じような恵まれた環境にいた少年たちで、倒錯犯罪司祭に密室で遭遇しなかった多くの少年たちが存在する。

彼らの中には、教区司祭や修道士たちの献身をみて、自分たちも弱者の側に立たなくてはと思う者が出てくる。その中から、代替経済を考えたり雇用者の人権に配慮したりする企業経営者も生まれれば、ボランティア活動や人道支援団体への寄付を続ける者も出てくる。

そして少数の者は自分も司祭になることを選択するのだ。

で、被害者組織のリーダーの友人にも、司祭になった者がいる。

友情は変わらない。その友人たちが苦しんでいる。ペドフィリア・スキャンダルのせいで、心ない罵声を浴びせかけられたり教会に攻撃の落書きをされたりするからだ。

少年時代に同じようにカトリック教育の中で慈善や利他や謙遜を教えられながら、


そんなことはすっかり忘れて「普通のエゴイストになる」普通の人もいれば、


神と弱者に身を捧げる使命を全うしようとする少数の人もいれば、


ペドフィリアの司祭と2人きりになるという事態を経て癒えることのないトラウマを抱えた少数の人もいる。

被害者の中には、過去に自分たちが信頼していた司祭、今でも信頼に足ると思う多くの司祭たちと「連帯」しようとしている人たちがいるのだ。


被害者の会のリーダーは、ひょっとして、本当の意味で「キリストの教え」に従う「信徒」なのかもしれない。

弱者である少年たちを虐待した強者を弾劾することを絶対にあきらめず、黙って苦しんでいた他の被害者に手を差し伸べ寄り添うからだ。

「ある閉じられた組織内の犯罪」を思う時、「悪」にはみな保身や思考停止や欲望や利益追求などの共通点があるけれど、それぞれの被害者にはそれぞれの立場と生き方と戦いがあるのだなあ、とあらためて考えさせられた。


by mariastella | 2018-06-16 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

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