マルモッタン美術館の常設展示の「enluminure(中世写本の細密画)」の部屋は、すばらしい。
キリスト教世界の細密画はこれまでにも見たことがあるけれど、ここの薄暗い一室に並べられた絵の筆遣い、時代を超えて輝く金の色遣い、疫病も飢饉も戦乱も今では考えられないようなレベルで人々を襲っていた時代に天国や救いや宗教的昂揚を求めた人々の息遣いなどがたちこめている。雰囲気の再現まで何かにまでインスパイアされたかのようだ。
この細密画の「光」は写真ではすべて吹き飛んでしまう。
その前に立たないと伝わらないので載せない。
彫刻も少しあった。これは聖女アニエス。仔羊がシンボルで、犬か猫のように寄りすがっている。
こういうのを見ると、ああ、中世ヨーロッパにキリスト教の写本文化があってよかったなあ、と、保存状態の良さと同時に感謝したくなる。その感動は、具体的な宗教的コンテキストや鑑賞者の文化的背景とは別のところにあると思う。 例えば私は過去に「源氏物語絵巻」の原本の展示を見たこともあるけれど、教養としての興味の方が大きかった。
中世ヨーロッパの細密画は、伝統的文化的なコンテキストを共有していないのに、もっと迫ってくる切実感がある。
6/13には、弦楽オーケストラで、三度目になるバッハのブランデンブルク3番の他に、シューベルトの「AVE VERUM CORPUS(アヴェ・ヴェルム・コルプス)」の合唱の伴奏に参加した。「真の体」、つまり先日の聖体の祭日と同じ、カトリックのミサで聖体にキリストの真の体が化体するするという賛歌だ。だから歴史的にはばりばりのカトリック文化の遺産なのだけれど、弾いていて、合唱を聴いていて、どきどきする(宗教とは関係のない文化行事のコンサートだ)。
こういう時も、バッハやシューベルトやモーツアルトらが生きていた時と場所にキリスト教文化があってよかったなあと思う。
目に見える細密画や、耳に聴こえる聖歌が、私たちを現世と「あちらの世界」の境界領域に誘ってくれる。
特に図像は確固としてそこに「ある」けれど、音楽は、演奏する瞬間にしか現れない。
「インスピレーション」の現場により深く立ち会える。
源氏物語絵巻を見る時には物語の文脈を知りたい気がするが、細密画や宗教曲には、テキストの中身や教義を超える「人間」の訴えや心を直接キャッチするだけで多幸感をもたらせてくれる何かがある。