L'art de croire             竹下節子ブログ

ルルドで「診療してはいけない」お医者さん その2

(これは前の記事の続きです)

アレッサンドロさんはマルタ騎士団のメンバーでもあり熱心なカトリックだが、ルルドの「治癒報告」に対する科学的な判断の客観性は揺るがない。


「説明不可能な治癒」の基準は非常に複雑で、ハードルが高い。


例えば、この5月にはアメリカ人女性による癌の突然治癒の報告文書が届いた。

ちょうど、シカゴの腫瘍学専門の医師が訪れていた。

ルルドの国際医学協会のメンバーの1人で、彼らは毎年会員更新する。

カトリック以外の医師も含めて73ヶ国の11千人のメンバーが登録していて、専門と必要に応じてデータを確認したり新しい検査をしたり、「説明不可能な治癒」を司教に申告する最終投票に参加したりする。


アレッサンドロさんは、この英語の案件を腫瘍医に渡した。

次の日、腫瘍医は、その癌の自然治癒は極端に少ない例ではあるが不可能ではなく医学的に説明可能である、と答えた。「奇跡の治癒候補」から直ちに外されたのだ。

1858年の聖母御出現以来、たったの70件しか「奇跡認定」されていないが、こうしてはやばやと「はねられる」申請の他に、「説明できない」としたまま保管されている案件は1883年以来、実に7000も保存されている。

「説明不可能」なうえに「奇跡」という名を冠されるには、治癒を得た人のその後が信仰の模範となるかどうか、福音的効果に左右されるものだから、治癒を受けた後ボランティア活動に専心したりもともとシスターや司祭などの場合が「無難」だと思われるかもしれない。

70件の公式「奇跡」認定を受けた人のうち、10人が修道女、3人は後に修道女になり、修道士1人、司祭1人だそうだ。

こういう人たちは信仰の点でも、周囲の人による祈りのサポート点でも、ルルドに関与する可能性の点でも最初からプラスのバイアスがかかっていることを思うと、奇跡の治癒むしろ少ないくらいだといえる。

国籍別にいうと、フランス人45%、イタリア人30%、アメリカ人10%、その他15%だ。

地理的にいっても、実際に訪れる病人の巡礼者の割合からいっても妥当な数字だそうだ。


実状として英仏伊の3ヶ国語が医学検証事務所の公用語化しているのだから、この3ヶ国語で記された医学証明書が審査されやすいのも理解できる。

実際私は説明できない突然の治癒をルルドで得たという日本人の話を詳しく聞いたことがあるが、その方もわざわざ診断の書類など出していない。

変な仮定だがもし私がそういう治癒を体験しても、申請、報告などしないだろう。自主報告でなくビフォーとアフターの詳しい診断を出し、その後の経過も詳しくチェックされ、ルルド医学協会のメンバーからの問診や再検査を受ける、などというモティヴェーションはない(当事者ノンフィクションを書きたいという色気は出てくるかもしれないけれど)。

で、アレッサンドロさんの「奇跡の治癒」候補の審査というのは、毎日のように届けられる報告書、申請書のチェックだけではなく、保管庫にひしめいている7000件の報告に時々目を通して、「有望」だと思われるものを取り出して、「その後」の経過を調べるためにコンタクトすることになる。

アレッサンドロさんが着任3年後にはじめて奇跡認定された68件目の「奇跡の治癒」を得たシスター・ルイジナ・トラヴェルソさんは83歳だが今も元気で毎年ボランティアとしてルルドを訪れる。

彼女は何度も手術を繰り返してもよくならない坐骨神経髄膜瘤で背骨が完全に麻痺して196531歳の時ルルドに着いた時には担架で列車の窓から降ろされた。

帰りは自分で歩けるようになり、付き添いの司祭は歓喜の涙を流した。

ルルドの医学事務所は1984年にはじめて彼女にコンタクトしたが、それきりになった。2009年に着任したアレッサンドロさんは、この件に注目し、もう一度検査するように頼んだ。X線撮影による彼女の背骨は変形したままで、今でもまともに立てるはずもない所見だった。機能だけが回復したのは「説明不可能」というほかはなかった。

それでも、今、ルルドへの巡礼者は激減している。


私が『奇跡の泉ルルドへ』を出版した20世紀末には世界一の巡礼者数と言われるマリア御出現の聖地だったが、今は半減している。

21世紀初頭に日本の大学生に付き添って訪れた時のことは『聖女の条件』に書いたが、今はテロ対策のセキュリティ・チェックもあり、洪水の影響もあり、多くのホテルも閉鎖されたという。


皮肉なことに、今は、「医学のお墨付き」のインパクトすら必要とされていない時代なのだろう。

プロテスタントの福音派は派手な演出で「その場の治癒」を喧伝するし、「治癒付き」新宗教もたくさんあるし、何よりも、「治ればいい」というプラグマティズムが支配するからだ。昔の「蒙昧」への先祖返りではなく、マーケッティングとコスト・パフォーマンスの追求だ。メディアの消費者はフェイク・ニュースにも慣れ始めている。

ルルドでの「厳密」な医学検証の方が完全に時代遅れで非効率でペイしない。

アレッサンドロさんは予算の削減により一人しかいなくなったアシスタントと一緒に5ヶ国語で会報を発行している。治癒報告書のデジタル化も進めた。


時代とともに病も変わった。

以前の「奇跡」は動けなかった人が動けるといった機能回復が中心だったが、今のルルドには心を病んでやってくる人が多い。

鬱病の突然の治癒を「説明不可能」と証明するのは難しい。

でも、「生きるのが困難になる」という点では、心の病は体の病と同じように深刻だ。


ルルドは今でも多くの人が癒されているのは間違いがない。

ルルドでは、私も、健康な学生たちも、病んでもいないのに癒された。


利益追求社会の中で「恵み」の無償性を掲げ続ける場所と人の存在を知るだけでも意味がある。

71件目の奇跡の治癒認定も間近という噂のある今、アレッサンドロさんにはまだまだがんばってほしい。


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by mariastella | 2018-06-29 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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