6月末の週末、ヴァンセンヌの森の仏教パゴダでスリランカのフェスティヴァルがあった。爽やかな天気で湖の周りの散策も楽しい。ボートに乗ればクジャクの島にも行ける。昔はなかったものがいろいろある。

水鳥のカップルも日向ぼっこ?

白鳥も優雅に。
久しぶりに行くパゴダではやはりお釈迦さまの「仏舎利」に挨拶。最初に
この仏舎利追いかけをしたのはもう9 年も前のことだった。
このパゴダの金色の仏像の前でバロックコンサートをしたのももう3年前になる。
パゴダの入り口には実物大のインド象が二頭。


スタンドには上座仏教の七曜仏のミニチュアがいろいろあった。一週間の毎日を守護してくれるというのは面白い発想だなあと思う。七つの頭を持つ蛇神ナーガのとぐろの上に座している仏さまを記念に買った。
パゴダの中にはフランス中の仏教コミュニティからのいろいろな寄贈品が飾られている。
タイのコーナーにはバンコクのゴールデンマウンテンの模型がある。

そのすぐ横にはまるで聖母子像のような観音様(?)が。
子を抱く観音様というと、子安観音とか子育て観音とか、水子を救う慈母観音、切支丹のマリア観音とかいうのは知っているけれど、何となく雰囲気が違う。記憶の中の慈母観音は子供をもっと胸の前でだいていたような。
これは布を被せられている姿がヨーロッパの聖母子像の雰囲気にますます似ている。


この母子像の由来を傍にいた人に聞いてみたが、スリランカ人なので分からなかった。
でも、仏はすべての者に姿を変えて現れる、キリスト教の聖母もイエスもみな仏の別の姿だ、と言われる。
さらに、私が日本人だと分かると、ほら、「ミタマ」ですよ。仏の「ミタマ」がいろいろな形をとるのです、と言われた。
ちょうど、日本のワールドカップ番組のテーマソングか何かで、「燃える御霊」がなんとかいう歌詞について軍歌調云々の批判があったという話をネットで読んだばかりだったので「おお、すごいな、ミタマの認知度」と思ってしまった。
全ての「聖像」に姿を変えて現れているのは、霊的な支えを求める古今東西の人々の心、魂なのかもしれない。