L'art de croire             竹下節子ブログ

1998年ワールドカップ優勝から20年のフランス

7/14付の記事に訂正と追記があります。)


1998年、フランスとクロアチアがフランス開催のサッカーワールドカップで準決勝を戦った夜のことを確か『からくり人形の夢人間・機械・近代ヨーロッパ(岩波書店)』に書いたと思う。パリのマジシャンの集まりに参加していた。フランスが勝つとクラクションが鳴り、通りが騒がしくなった。マジシャンたちは機嫌よく、私のためにだけいろいろなテーブルマジックを披露してくれた。非現実的な夜だった。(ここにも関連記事あり)


いろいろな国のサポーターたちがメトロにあふれかえり、今のようなテロの恐怖もなかった。振り返るとなつかしく、感慨深い。

ブラジルとの決勝の日は、私は日本にいた。録画した試合を早朝に見た後、ハワイに発つために成田空港行きのリムジンバスに乗ったら、フランス人が一人乗り合わせてフランスのスポーツ新聞を手にしていた。つい声をかけた。そのリムジンバスの中でフランスの優勝のことをフランス語で話すことができる喜びを共有したことを覚えている。インターネットも今ほど速報を流していない時代だった。

今年はその優勝から20周年ということで回顧番組がいろいろあった。4年ごとの大会だから、10周年というのがなく10年前には何もなかった。

で、あらためて、20年前の優勝の日のフランス人の熱狂ぶりをテレビで見ることになった。それから数年間、2年後のヨーロッパ杯も優勝したのでみんな機嫌がよかった。

フランス人がすなおに機嫌がいいのを見るのはめったにないのでこちらも気分がよかったのを覚えている。1999年の7の月の終末論どころか、1998年の7の月の「アンゴルモワの大王」はジネディヌ・ジダンのことだと言われたぐらいだ。

20年前のシャンゼリゼの熱狂をテレビで見ると、凱旋門に何度も「ジダン、大統領」とテロップが流れていたしみなが声を枯らして唱和していた。「ジダン、プレジダン」と韻を踏むからだ。ジダンはベルベル人でいわゆるアラブ人ではないけれど、北アフリカのマグレブ三国の出身であるのは確かで、当時のフランス・チームが「ブラック、ブラン、ブール」とよばれていたことのシンボルともなっていた。これも「B」で頭韻を踏んでいる。

そのためにわざわざ英語のブラックを使い、アラブを逆に読んだ俗称ブールを使っている。アラブ系の人気俳優が、優勝の夜を回想して、「あの夜、すべてのアラブは美しかった」とほほ笑んだ。

ただ印象的だったのは、当時のナショナルチームの補欠選手で、結局一度も試合に出なかった人が、疎外感を語っていたことだ。凱旋パレードでも自分が取り残されている感じがしたという。試合に出ないどころかテレビを見ていただけの人々があれだけ感情移入してまるで自分たちの手柄のように狂喜乱舞しているのに、ずっとチームと共に訓練しながらベンチにとどまった選手がフラストレーションをおぼえるというのはなるほどそうかもしれない。「連帯」の心理というのは不思議なものだ。

今のハイビジョンになれた目には当時のテレビ画面はぼやけて見えるものの、シャンゼリゼを埋め尽くす人々の興奮と幸福感は伝わってくる。

それに比べると、20年後の今は、テロの非常事態も警戒し、エッフェル塔の周りにも柵ができているし、セキュリティ・チェックは厳しいし、なんだか時代は悪い方に行っているような気がしてしまう。

そして、今回フランスがロシアでの第一次リーグを順調に勝ち進んでいた間も、解説やコメントはみな一様に辛口だった。こういう時、フランス人が自虐的で素直でなくて、文句ばかり言っているのはいつものことなのだけれど、なんだか、敗退した時のショックを減らすために防衛機制が働いているんじゃないかと思うほどだ。

それでも、決勝に進むころには町のみんなの機嫌がよくなっていくのが分かる。

そして、今のナショナルチームで最年少の天才プレーヤーと呼ばれているキリアン・エムバペだが、この人は、パリ生まれだが父はカメルーン出身、母親がアルジェリア人と、「ブラックとブール」のハーフなのだ。今のチームの「黒人」はフランス海外県出身どころかアフリカからの移民出身が主流なのだけれど、エムバペのようなハーフ(というかダブル)の活躍こそ、形だけの「多様性」の共存じゃなくて統合のシンボルだなあとも思う。その意味では98年よりも進んでいる。彼は19歳とは思えない落ち着きで謙虚でエムバペの父親も元サッカー選手だが、ジダンも「白人(スペイン系フランス人)」の夫人との間の息子たち(うち一人は1998年生まれ)がプロのサッカー選手の道に進んでいる。

一時ナショナリズムの真似事をしても、実はいろんな意味でもう国境のない人たちなのだ。

今回、1998年から20年ぶりとなるクロアチア戦、今回のファイナルを、ロシアのスタジアムで観戦したいのはやまやまだけれど優勝の瞬間はフランスにいて多くの人と感激を共有したい、というフランス人が少なくないのは意外だった。ロシアに行く金も時間もある人でもそういうからだ。やはり、「感動を不特定多数の隣人と共有」することで増幅させて盛り上がりたい、という欲求は大きいのだ。それは、別に「フランスだフランス人同士で」というのではなく、フランスの優勝をいっしょに喜べる人たちが最もたくさんいるところ、という意味だ。

クロアチアの観光地ドゥブロヴニク(アドリア海の真珠)で今バカンス中のフランス人も多いのだが、その人たちが、15日は目立たないようにひっそりと赤白のクロアチアのシャツを着てテレビを見ると言っていたのも笑える。

フランス人にとってファイナルを見るのに最高の場所はフランス、次がロシアのスタジアム、最悪がクロアチア、ということだ。

そういう意味ではサッカーの国際試合は悪くない。

日本ではサッカー自体の位置づけが違うし、監督の国籍でもいろいろ言われるし、「移民出身選手の活躍」なんて想像もできない。


(この記事は日本時間の16日零時過ぎの予約投稿なので、決勝戦は始まったばかり。終わって何か思うことがあれば追記します)


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by mariastella | 2018-07-16 00:05 | フランス
<< ワールドカップでフランスが優勝... 革命記念日と自衛隊(訂正と追記あり) >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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