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L'art de croire             竹下節子ブログ

ビリー・ワイルダーの『お熱いのはお好き』 ( 1959)

ビリー・ワイルダーの『お熱いのはお好き』(1959Arteで放映していたのを観た。

Arteだから字幕バージョンかと思ったらフランス語バージョンだった。

このフランス語訳はレイモン・クノーによるものだそうで、納得がいく。


この邦題とマリリン・モンロー主演ということで、単純なラブコメディーという先入観があって、今まで観たことがなかった。

原題の「熱いのを好むものもいる」という感じのタイトルにももちろんセクシーな含意があるのだけれど、ジャズクラブで歌うマリリン・モンローに、大金持ちに化けたトニー・カーチスが「ああいう熱い音楽(ジャズ)を好む人もいるけれどぼくはクラシックの方が好き」というセリフにもかけている。

そして熱くないクラシックを好む大金持ちは「冷感症」で、モンローが、彼の欲望に火をともすためにがんばるという設定だ。


でもこの邦題ではミスリードし過ぎ。

いろいろな含意がありまくりのこの映画が、ただの「お色気」映画だと思われてしまう。(実際、日本語で感想を検索すると、セックス・シンボルとしてのモンローの映画だと思っていた、という感想が少なくなかった。で、モンローは普通にかわいいというか、キュートだと。中には、クラシック映画を観ている若者が、同じワイルダーのオードリー・ヘプバーン映画『麗しのサブリナ』や『昼下がりの情事』も見て、ヘプバーンとモンローが重なってまだ区別がつかない、などとコメントしているものもあったので驚いた。対照的な正反対のキャラなのに。時代の差を感じる。)


あらすじは、今、日本語で検索すると、ネタバレも含めて
があった。

 

(この映画を未見で、でも、このブログを最後まで読みたいという方は先にこれをどうぞ。)


この映画、よく考えると今すごくタイムリーだ。


数年前にフランスの「同性婚」の合法化の時にも取り上げられた。

「女性同士?」のキスや男性同士の結婚について出てくるからだ。

そして今は、「セクハラ」やジェンダーについての議論にぴったり重なる。


考えてみれば、ヘイズ・コードの生きていたピューリタンのアメリカで、ナチス・ドイツから亡命してきた脚本家が、よくこんなストーリーを考えついたなあと思う。(ワイルダーは当時のオーストリア=ハンガリー帝国で今のポーランド内に生まれ、この映画のマリリン・モンローが演じる娘もポーランド系となっている)


男が、「女装」することをテーマにした初のアメリカ映画だった。しかも結局検閲の承認なしで公開されて大ヒットした。

最近のアメリカでの投票による「最も笑えるアメリカ映画」の第一位だそうで、第二位が四半世紀近くも後の1982年の『トッツィー』(ダスティン・ホフマンの女装)だという。前者は命を狙われて、後者は金のため、とどちらも、「仕方なく」女装したので「性的倒錯」ではない、という、「ピューリタン的正当化」が意識下にあるのかもしれないけれど、その二つが「最も笑えるアメリカ映画」のトップに選ばれるなんて、逆に闇が照射される感じがしないでもない。

この作品も、ジャック・レモンの役に最初はフランク・シナトラが候補に挙がったのだけれど、シナトラが女装を拒否したのだそうだ。


1929年が舞台であるセリフのところどころにも反応してしまう。


偽の大金持ちが、ウィーンのフロイトのところに治療を受けに行ったという「ウソ」も、その頃フロイトを取材に言ったというワイルダーの体験の反映だし、金持ちがシェル石油の御曹司かなんかで、急遽仕事のためにベネズエラに行かねばならないという設定も、その後のチャベスや今のマドゥローに至るまでのベネズエラの運命のことを考えさせられるからだ。


女装することになる2人のジャズ奏者は、白人の大人で体格もよく、男として最もアドバンテージのある立場にあった時には普通にやっていた「セクハラ」を、女装しただけで「セクハラを受ける側」になったことに戸惑う。

おもしろいのは、彼らが女装しても当然大柄で逞しいのにかかわらず、化粧、髪、ハイヒール、ドレス、イヤリングなどのアクセサリーに豊かな胸という「見た目」だけで、「男からの欲望の対象」になることで、しかも、その男たちが、彼らよりも「男らしく」ない。

ジョー(トニー・カーチス)を追いかけまわすホテルのボーイは、「若僧」で、ジェリー(ジャック・レモン)を追いかけまわす本物の金持ちは「年より」で、どちらも、ジョーやジェリーらより背も低く、痩せて貧相で、力も弱そうであるという戯画的設定になっている。

金持ちは年とっていても「金」があり、ボーイの方は過去のジョーと同じただの「女好き」で、これらの「鏡効果」が、大金持ちに化けてシュガー(マリリン・モンロー)を口説こうとするジョーの心境にも変化をもたらす。ジョーは、自分からシュガーに迫らずにシュガーから迫られる設定を作り出すのだ。


シュガーがジョーにキスするシーンと、ジェリーと大金持ちがラ・クンパルシータを踊るシーンが交互に移される部分はもっともコミカルな場面だけれど、そこにある込み入った倒錯はシナリオの名人芸だと言えるだろう。


ジェリーが本当の大金持ちから求婚されて、「男が男と結婚する理由」として、生活の保障のため、というのも皮肉だ。実は、ラストシーンで、もう一つ「別の理由」が出てくる。「完全な人間なんていないから」という有名なフレーズだ。


大金持ちが母親の反対で何度も別れたという以前の女たちも実は男だったのか、あるいは、もともと男が好きだったので女たちとうまくいかなかったのか、ジェリーは「男らしい女」として理想だったのか、彼が男だと知っていたのか、などといろいろ想像させる終わり方だ。

ジョーとシュガーの方は、嘘がばれて「しがないサックス奏者」だと分かってもハッピーエンドということで、お話の「軽さ」を維持するのに成功している。


この「完全な人間なんていないから」という最後の言葉は、なかなか思いつかなくて、最初は


SoWhat! (だから、何。 それがどうした?

BigDeal! ( 大したことだ。ここは反語的に大したことじゃないよ、という意味)


などを考えていたそうだけれど、英語が完璧ではなかったワイルダーの共同脚本家が


Nobody'sperfect!


を考えついたのだそうだ。

これは夫婦喧嘩に関するスタンダードなアメリカン・ジョークで

夫に腹を立てた妻が「あんたって、完全なバカね!」と言い、

夫がそれに答えて「完全な人間はいないから」というのがあるので、その後半を転用したのだそうだ。


カツラという「女性コード」をむしりとって「ぼくは男だし!」と告白するジェリーにこう答えてしまう大金持ちの落ち着きぶりは立派な「オチ」になっている。

それまでにも、さまざまな欠点をあげて「結婚ができないこと」を悟らせようとしてかわされているからだ。その中で、「子供ができないし」と言われて、すぐに「養子をもらえばいいから」と答えるところが印象に残った。


この辺も含めて、ジェンダーや性的指向や結婚観や子供を生むとか生まないとか、21世紀にも続く様々な言説が想起されるのだ。


この映画にはそれらのテーマとは別に、禁酒法時代のギャング(冒頭の7人殺しは実際にあった事件)や、いかにもシシリア・マフィアっぽい「イタリア・オペラ友の会」での「制裁」があったりして、とてもコメディとは言えない世界が描かれている。それが「女装」の倒錯や、夜行列車内での「女の世界」の描写と軽重の見事なバランスをとっているわけだ。


ふと気がつくと、ワイルダーも、私が今読んでいる最中のアドルノやアンダースと同世代でドイツ語圏に生まれたユダヤ系の亡命者だ。こういう人たちが、戦後の「文化」の立役者だったんだなあ、と今にして思いが至る。


ワイルダーと同時代のフレッド・ジンネマンも同地域からアメリカに渡った。

私が一時期、カルチエ・ラタンにほとんどの作品を観に通いつめたエルンスト・ルビッチはやや年上だけれど、やはりユダヤ系でドイツから亡命。


彼らヨーロッパ・テイストの監督たちの映画がハリウッドの黄金時代を築いたのだなあと感慨深い。


しかも、ワイルダーもジンネマンもそうだが、ドイツ語圏の多くの知識人やアーティストたちはナチスの時代にまずパリに亡命している。映画をパリで学んだ人も少なくない。フランスがあんなにあっさりとヒトラーと休戦協定を結んで対独協力しなかったら、彼らはアメリカに行かないでフランスのアーティストになっていたかもしれない。


そういうことを考えると、「フランス・ファースト」的には、現在シリアから亡命してくる才能ある人々を積極的に受け入れることの意味も出てくるわけだ。

逆に、今の「近視眼的アメリカ・ファースト」ともいうべきトランプ大統領の政策に失望しているアメリカ人の気持ちもよく理解できる。


一本の映画がいろいろなことに気づきをくれる。


by mariastella | 2018-08-21 00:05 | 映画
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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