ヴェズレーのバジリカ聖堂は、建築的に見ると、19世紀にヴィオレ=ル=デュックによって修復された本堂の柱列の柱頭彫刻群が何といってもすばらしい。
最初のロマネスク様式と後ろのゴシック様式の組み合わせも天井部分ががらりと変わるのが圧巻だ。ロマネスクからゴシックを見るとこう。
ゴシックからロマネスクを見るとこう。グループでやってくる巡礼仕様にできているので、本堂に入るまでに広いナルテックスがあり、そこがいわば俗世間と聖なる空間の中間地帯ということになっている。
ナルテックスから本堂に入る時の中央上のタンパン彫刻が、外部にある最後の審判図と違って、あらゆる人に伝えられる福音ということでフォークロリックに見ても非常におもしろい。
ひと昔前なら、このブログでそういうことすべてをいろいろ解説するところだけれど、多くの写真集や研究書が存在するし、何よりも今は、ネットでいろいろ検索できるから、スルーする。
で、すぐに、地下聖堂(クリプト)へ。
これがこの地をメジャーにしたかの有名なマリー・マドレーヌ(マグダラのマリア)の聖遺物なのかと言われれば、そうではない。この聖堂も、聖遺物も、何度も、壊され、奪略され、それでも復活してきた。
イタリアのアッシジのフランチェスコのバジリカ聖堂やら、聖女リタの聖遺物があるカスシアの聖堂などとは違う。ユグノー戦争とフランス革命の傷は深い。
それでも、巡礼者のほとんどはそもそも聖遺物の「真偽」など気にしない。
それぞれの個人史の中で、それぞれの形で、奇跡があり、ご利益があり、信仰心が高まり、イエス・キリストとのつながりを感じ、生きるエネルギーがもらえ、宇宙の神秘に浸ることができればいいからだ。
地下墳墓といっても、掘れるような土はなく、床はそのまま岩盤だ。
柵の向こうに聖遺物が。
その前には願い事を書くための紙と鉛筆が置いてあり、カゴに入れておくようになっている。
典礼的にはその反対側にあるこの祭壇がもちろん一番「偉い」。
でも、マグダラのマリアの聖遺物からは、トスカーナの「不可能案件の聖女リタ」の遺体が放っているようなオーラは感じられない。
ヴェズレーのこの聖遺物は、必死で祈る巡礼者の姿なしには、「賞味期限」が切れているのでは、などとさえ感じられる。
「モノ」ではなく、ここからサンチアゴ・デ・コンポステーラに向かうという「コト」がヴェズレーに息を吹き込み続けているのだろうか。 (続く)