ジュール・ロワの家から坂を下りていくと、右手にジョルジュ・バタイユの家。
彼が住んだのは1942年から49年という「戦後」の時代。ヴェズレーを去ってからも何度も訪れ、1962年に死んでこの地に埋葬された。
彼がヴェズレーについて書いたものには様々な「音」が喚起される。風の音、鐘の音、虫の鳴き声、鳥の鳴き声。バタイユと言えば「無神論者」と自称していたのだから、一見ヴェズレーと異質のようだが、彼の全作品と生涯は神秘主義とエロティシズム、死と生と聖なるもののはざまで揺れ動いている。
もともとランスで暮らしていた時に、第一次大戦勃発時、17歳でランスのカテドラルでの司教ミサに出て「回心」し、一度は司祭になろうとして神学校にも在籍していたくらいだから、「神が存在しない」というタイプの無神論者とは程遠い。
「この世のカトリック教会の神」より大きな霊的存在を求めていたらしい。
ジュール・ロワもそうだけれど、20世紀前半を生きたフランス人はみな、2度の大戦のトラウマを背負っている。それが、イエスの復活に唯一立ち会った「罪の女」マグダラのマリアに惹かれる要因になったのかもしれない。
フランスが愛国熱に駆られた第一次大戦にはっきりと異議をとらえたロマン・ロランの晩年の家もヴェズレーにある。
こう見てくると、ヴェズレーは「巡礼地」ではなくて「住みたい場所」なのかもしれない。
なんとなく、分かる。(続く)