L'art de croire             竹下節子ブログ

愛は掟

先日、「今日の心の糧」というカトリック系のラジオ番組をネットでも配信しているサイトで、

タイトル:「人生を変えた言葉」執筆者:末盛 千枝子

というのを読んでなるほどと思った。

そのはじめの部分をコピー。

                 

 >>>私が大学に入学した時のこと、母が私に、「どこの大学にも、カトリックの集
まりがあるはずだから、そこに籍だけでも入れておきなさい。人生に悩んで、親
ではなく、誰かに相談したいと思うことが必ずあるはずだから。」というのです。

 私は、時代的なこともありましたし、洗礼を受けたのは、小学生の時でしたし、
自分がキリスト教徒であることを、しかもカトリックであることをなんとなく不
自由で、うしろめたいことに感じていました。
でも、面と向かって母に反対するほどの勇気もなく、仕方なくという感じでカト
リック栄誦会というクラブに入ったのです。
ところが、そこで出会った学生たちは、私が恐れていたような堅苦しい人たちで
はなく、実に気持ちのいい人たちでした。

 そして読書会や定期的にあった集まりには、いろんな講師もお見えになりました。
そんなある日、沢田和夫神父様がお見えになって、
たった一言、「愛はすすめではなく、掟です。」と静かに、しかし、強い口調で
おっしゃったのです。
そのときのショックは忘れられません。脳天に一撃を食らうというのは、こうい
うことを言うのだと思ったほどでした。<<<

なるほど。

私が大学に入った時も「聖書研究会」というのは見かけたけれど、カトリック系の集まりがあるかどうかなどとは思いもつかなかった。聖書何とかとかキリスト教何とかというのは、悪くするとカルト、よくても超まじめな融通のきかない集団か自己満足な人たちの集まり、くらいの漠然としたイメージだったろうか。

これを読むと確かに、「カトリック系の集まり」というのは一つの知恵かもしれない。

プロテスタントには諸派あって、とても、素人には識別できないし、本当にカルトがひそんでいるかもしれない。いわゆる無教会派というのもあるけれど、それは指導者の技量や人格に激しく左右されるだろう。

その点「カトリック」と名がつけば、ヴァティカンを頂点に、「教え」や「方針」が明確で公に書かれているから、明確だし、第二ヴァティカン公会議以降はいわゆる「勧誘」はないはずだから、「信者」でなくとも受け入れてくれるはずだ。

別に宗教的、あるいは哲学的な悩みの種がない学生には必要ないかもしれないけれど、霊的なことに「免疫」がない若者が、人生でふとした疑問や不全感を抱いたときにカルトに付け込まれるという例があるし、オウム真理教事件を見ても深刻な結果を招きかねない。「仏教系」というのもありかもしれないけれど、これも教派がたくさんあって、仏教系カルトだってあるのだから、識別はつきにくい。そう思うとカトリックってなかなか手頃な停泊地かもしれない。

で、その次の、「愛はすすめでなく、掟です」というのもすごい。

たしかに、「すすめ」くらいで「汝の敵を愛せよ」なんて言われても絶対に無理だ。

フランスのカトリック系の中学校の入学式で、

「学校の全員、クラスの全員を愛さなければならない、とは言いません。けれども、全員をリスペクトしなくてはなりません。これだけは譲れないことです」

という言葉を聞いたことがある。

全員を愛せよなどと言う建前や理想論ではなく、現実的な最低線をちゃんと示すのはなかなかいいなあと感心した記憶がある。

けれども、聖書にはちゃんと

心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい」

という掟があるわけで、その隣人というのも、「同じ共同体の人」というのではなく、たとえ行きずりでも困っている人に手を差し伸べる関係だと明確に述べられている。

神を愛することと神の似姿として創られたすべての人を愛することはセットになっているのだ。

そしてそれはとても「勧め」られて実行できるようなことではない。

だとすれば、全ての人を愛することが「不可能」なくらいに、神を愛することも不可能だ。

そんなことができるのはまさに「神業」だ。

で、「掟」。

神の掟は人間の掟とは違う。

人間の掟では、個体や共同体の存続が優先するから、侵入者や弱者や少数者は排斥され、攻撃されれば報復する。「敵」は「悪」であり、憎み抹殺すべき存在だ。でも人間社会の「敵」は時と場所によって変わる。昨日の敵は今日の友、「鬼畜米英」が「日米安保条約」に。

今日の「多数の正義」に従っていたら明日は裁かれて殺される身になるかもしれない。

そんな「人間の掟」の世界で、不可能に近いような「神の掟」を守るというのは、ある意味で究極の「自由意志の行使」なのかもしれない。


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by mariastella | 2018-09-19 00:05 | 雑感
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