L'art de croire             竹下節子ブログ

『アフリカの女王』(1951)ジョン・ヒューストン

『アフリカの女王』をArteで観た。

ジョン・ヒューストンの1951年の映画。

ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘプバーン主演の有名な古典だ。


これを観たのは初めてではない。

最初の時もTVの放映だったと思う。


「アフリカの女王」という蒸気船が舞台のエキゾティックなシーンのことはいろいろ覚えている。

でも、主演の2人は私の好きなタイプではない。

今回もう一度見ようと思ったのは、舞台がドイツ領東アフリカだということにあらためて気づいたからだ。

今のアフリカで中国が進出していることや、EUから離脱するイギリスがアフリカとの取引を強化していることなどの昨今の情勢を見ながら、イギリスとフランス、ベルギーなどがアフリカ大陸を「山分け」して来た歴史について近頃あらためて考えていた。

で、少なくとも、ドイツやイタリアは領邦国家だったから植民地政策に「遅れ」をとっていたなあと漠然と思っていた。そして、今はメルケルもレームダック状態だけれど、ドイツがフランスと違って移民や難民を歓待しているのは、人口減少問題など以外にも、中東やアフリカにおける「旧植民地と宗主国」という関係がないからできるのかもしれないとも思っていた。

フランスとアルジェリアのように激しい「独立戦争」という確執もないし。

しかし、ドイツが統一された後、1880年代にしっかりと「東アフリカ」(今のウガンダやタンザニアあたり)を植民地にしたり「領土」にしたりしていたのだ。

19世紀の「西洋列強」帝国主義とは本当に野蛮で、自分たちだけで「合意」して境界線を引いて「取り放題」だった。

1960代に多くの国が独立を勝ち取った時に、ドイツが「宗主国」でなかったのは、第一次大戦ですでに英仏に敗れていたからにすぎない。


で、この映画には、そのドイツ領のある村に、20世紀初頭にやってきて10年「宣教」しているメソジスト教会の牧師とその妹がいる。イギリス人だ。

そこに時々通う唯一の白人が、蒸気船で荷物や郵便などを運んで来るカナダ人のウォルナットだった。

メソジストだから、牧師も結婚できる。

それなのにこの牧師が独身で、妹も(今は死語だけど)オールドミスでオルガンを弾いているのは、宣教の使命感に駆られているだけではなく、要するに生きるのが下手で要領も悪く、自国で成功しないタイプだからだ。

実際、牧師は、自分より45歳ほど若かった仲間の牧師が国教会の主教に任命されたというニュースを新聞でみて嫉妬に駆られる。その牧師は有力者の娘と結婚したからだという。

それでも宣教に専心するのはコンプレックスの裏返しと、なんといってもそこでは文字通り上から目線の優越感に浸れるからだろう。

実際、村人を集めて聖歌の練習をさせている最初の場面では、彼らを除く全員が半裸の黒人で、ほとんど黒光りしていているショッキングな図だ。

「洋服」をきっちり来ているのが「文明」であり、「半裸」は野蛮人、未開人、土人というステレオタイプそのままで、しかもそれが見ている側にも刷り込まれているのに気づくからなおさらショックなのだ。

カナダ人のウォルナットが咥えていた葉巻だかタバコだかを投げ捨てると黒人の男たちがどっと群がって飛びつき、教会の土の床に座っていた男たちまでも次々と座を立つ。

で、戦争さえ起きなければ、ヨーロッパ人同士が合意して領土化していて、イギリス人の牧師が10年住んでいようと、カナダ人の水上運送業者が行き来しようと別に気にしないでやっていたようなのに、1914年に第一次大戦が勃発する。

牧師と妹のローズがウォルナットを通じてそれを知ったのはひと月後でしかなかった。


実際、すぐ後にドイツ軍がやってきて、村を教会ごと焼き払って村人全員を連れ去る。

しかし、ドイツ軍といっても、白人は数名の司令官で、後は全員、動員された黒人だ。

この村人たちも彼らのように兵士や要員とされるために強制徴用されたわけだ。

家は焼き払ったから戻れない。


自分の生きがいだったミッションが灰燼に帰したのを見て、小競り合いでの脳挫傷もあったのか、ドイツ軍が去った後で牧師は死んでしまう。


その後、船に乗り込んだローズたちがドイツ軍の基地の前を通過する時に銃を撃てと命令されるのも黒人兵たちだ。

ローズはただ逃げるつもりはなく、ドイツ軍に復讐するために魚雷を用意するようにウォルナットに頼む。ラストの場面でドイツの軍艦に捕らえられた時も、ドイツの司令官たちはもちろん酷薄な悪人役として描かれている。


要するに、これは、報復や戦争、暴力、そして人種差別などが満載の映画なのだ。


この映画が撮影されたのは第二次大戦後だけれど、ロケ地はまだ独立前のベルギー領コンゴだ。

そこで黒人のエキストラにこういう演技をさせている。

うーん、今の感覚でこういう背景を考えれば、いたたまれないような映画だ。

最初のシーンが音楽なしで、ジャングルの獣や鳥の声が印象的だし、船が進むときに流れる軽快な曲のオーケストレーションもいい。自然の中の動物たちの姿も迫力があるし、スリルに満ちた一種のロードムービーにラブロマンスが絡んでいて、ボガートもキャサリン・ヘップバーンも満身創痍の名演なのは間違いない。

いや、しかも、日本人のように、アフリカがはるか遠く、21世紀の今でもアフリカ支援について「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言する現役議員がいるような国の人がこういう映画を観ても、そのシチュエーションはまるでディズニーアニメの架空の国の話と変わらなくスルーできるのだろう。

今回それに初めて気がついて、誰でも、自分の知らないものは見えてこないのだとつくづく思った。


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by mariastella | 2018-09-20 00:05 | 映画
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