先日、健康ブログ、死生観ブログと化した、五十肩と代替療法の『たかが、かた(肩)』の月イチ更新をした。
いま書いている途中の『超死生観』という本は、一応は、「死が視野に入って来た高齢者の生き方を変える」目的で書いているのだけれど、今、「死者との交信」だとか、「殉教者としての死」とかの宗教的文脈や心理学的文脈を考察しているところだ。
日本語の言説を見ておこうと思ってググっているうちに『人は死なない』なんていう集中治療医の本が存在していることも知ってびっくりした。
フロイトが、人は誰でも、潜在意識の中では「自分は不死」だと思っている、と言っているが、なんだか妙に納得させられる。
「人は死ぬ」けど「私は死なない」んだなあ。
生きているうちに、できるだけ人の役に立つものを書きたい。
「普遍的なもの」と言いたいところだけれど、この頃は、50年後くらいを視野に入れて書いている。
私の同世代や上の世代の人でも、同じような視座を持って発信している人に共感する。
今の地球の異常気象やら各種殺戮兵器の性能向上などを見ていると、これからの50年を持ちこたえなくては普遍も何もあったものではない。
それとは別に、AIはどこまで人間性を獲得できるのか、人間にとって代われるのか、みたいなことについて、ここ数年、「目からうろこ」のようなケースをたくさん見てきたので、それについて別ブログで書いてみた。
このブログの番外編としてどうぞ。