これは去年の16世紀文学の学会の講演内容をまとめた本だ。
今忙しいので、翻訳しないで表紙と裏表紙をそのまま紹介。
ざっというと、ヨーロッパで「宮廷文化」が定着し始めた頃、「宮廷」での生き方、生き延び方、出世の仕方、自分より上位の者に対する忖度の仕方などのマニュアルももちろん出回っていたのだけれど、同時にそれを批判し、揶揄し、軽蔑さえして、宮廷を捨てて自然の中で生活しよう、という書物もたくさん出ていた、という話だ。
今でいうと、都会を捨てて田舎でエコロジーな生活をしよう、という感じである。
しかも当時それを書いたわけだから、庶民ではなく、宮廷の駆け引きのただなかにあった人たちだ。
スペインのアントニオ・デ・ゲバラによる「宮廷を軽蔑し田舎生活を賛美する」という本(1539)などは、またたく間に各国語に訳されてヨーロッパ中に広まったという。ラテン語の話ではない。驚きだ。
もちろん中世の頃から、権力、政治の駆け引きが渦巻く宮廷の世界を皮肉り、古代ローマ風の「田園」生活に憧れるというタイプの文学、絵画は存在していた。
それでも、そういう「貴族の想像上の遊び」だけではなく、この「宮廷での処世術」のカウンターである「シンプルライフの勧め」は、その後のヨーロッパの政治哲学に確実に影響を与えた、というところが興味深い。
もちろん、たとえば日本にももっと古い隠棲文学の『方丈記』などがあるし、中国だとさらにはるかに古い陶淵明のような隠遁文學もあるわけだけれど、その多くは、政治的な失脚、遁世、出家などと関連していて、「世をはかなむ」雰囲気もある。
ヨーロッパにも、アッシジのフランチェスコのように町や「文明」を捨てて自然を賛美した修道士たちもいたのだけれど、出世と権力への色気たっぷりのまま「宮廷」と「田園」のはざまで文学を弄している16-17世紀文学とは種類が違う。この16-17世紀の「嫌宮廷文学」は、権力を掌握している世界で「現役」で生きている人による「自問」、そこから飛び出すことができるのか、それはどういうことか、という問いかけだからだ。
いってみれば、政権の欺瞞や「忖度」に我慢できなくなったり疲れ果てたりする人のために、本気で「下野」する風景を作り出す力がある。
ひるがえって、21世紀の今の世界の「民主国家」では、なんだか、独裁的な首長がやたらと増えていて、それを批判する言論が弾圧されたり、メディアが自主規制したり、役人が政権を忖度しまくったり、という風潮が広がっている。
16世紀文学がすぐれた今日的問題をあぶりだしてくれるとは意外だった。