日本へのお土産用の「不思議のメダイ」を買いに久しぶりに「不思議のメダイのノートルダムのチャペル」に行った。
すぐそばのパリ外国宣教会ではインドのベナレスで宣教活動をして10年になる宣教師の「絶対の探求--インドとチベットの間」という写真展をやっていた。

この人は『ベナレスの司祭』という本も出している。ガンジス河が美しい。
このau-dedansというタイトルは新鮮だ。「内に向かう」何か。絶対とか超越とか聖なるものとかを求める時は天に向かいそうだけれど、実はそれは自らのもっとも内側の深いところと通じている。
うーん、でも、フランス人によくある「インド症候群」を思い出してしまった。
カトリック文化に浸って宣教師になったフランス人が、突然ベナレスになぞ行けば、それは大カルチャーショックだろう。実際、写っている人物のほとんどはヒンズー教、仏教、ジャイナ教の人々ばかりなので、さすがに気が引けたのか、わざわざ「カトリック教会はすべての宗教の中の真なるもの聖なるものを否定するものではない」という第二ヴァティカン公会議の言葉を引いている。
ガンジス河に大量に放水される工場汚水だとか岸壁にびっしりはりつくゴミの山だののドキュメンタリー映像を最近見たところだから、ますます複雑な気分になる。このヴァヌー司祭でさえも、「自分は現実を見ないで理想化しているのだろうか」などと自問をしている。
で、気を取り直して不思議のメダイこと奇跡のメダル聖堂に行くと、ここはもう、なんというか安定の巡礼地だ。じっと座って祈っている人々の表情を見ているだけで、ガンジス河やヒマラヤに行かなくても、聖母マリアにすがるこれらの人々のau-dedansの濃密さに圧倒される。


昔、母をはじめて連れて来た時に、ここに立ち込める祈りの波動としか言えないような衝撃に母が驚いていたことを思い出す。「家内安全」みたいなものをお願いする気は吹き飛ぶ。