(これは前の続きです)
>>> 「神がアダムに動物に名をつけるようにといった意味を理解しなければなりません。それは、私たち自身のうちの魂の内なる動物を指し示すことになります。傲慢なライオンや陰口を告げる蛇、独占欲のタコなどはしばしば出現します。それらは克服すべき試練として現れるのです。でも、それら一つ一つに名を与えた後で、それらを捕獲して私の代わりに動くことを妨げることができたという体験をしました。その時には主が秘密の錬金術によってそれらから情報を引き出して見せてくれるのです。それが「知識の樹」を作り実らせるということです・それが連なって信じられないような喜びにつながります。」(スゼネル談)
Sekko :アダムのくだりはこういうもの。「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった(創世記2,19)」。
「タコの独占欲」というのはタコのように複数の脚の吸盤で子供を離さないという母親による子供の囲い込みの比喩。私は日本では聞いたことがない。
いろいろな「煩悩」が湧きおこってきたらそれを一つ一つに分けて意識化していくことで相対化できて距離を置ける、という感じだろうか。でもそれが「信じられないような喜び」につながるというのは楽観的過ぎる気もする。
でも、スゼネル女史、95歳にしてこの自信に満ちて生き生きした感じ、「主の錬金術」を知っているんだろうなあ。

若い人からのインタビューにも答えている。「内にいる神になる」というテーマ。
滑舌の良さも含めて、なんという明快さと明晰さ。字で読むといろいろつっこみたくなるけれど話を聞くと傾聴するばかりだ。
(続く)