(これは前の続きです)
>>>「とはいえ、(生き方を照らす)光は、毎日のたえまない学びによってしか得られません。読むこと、そして祈ることです。
祈りは私にとって主との親密な時間です。単に「主の祈り」を唱えるといったことではありません。それぞれが主とつながるように生きることで、私の場合は一人で祈っている時よりも出会いの時にそれが多くあります。
私の魂と体と精神は愛の中、恵みに対する深い感受性の中で生きられる秘跡によって養われています。パンと葡萄酒は生きるのに大切なものであると同時に、神の秘密に至る最終レベルの読み方によって聖書の啓示へと私を導き続けてくれています。それがヤコブが見た梯子の最後の場所、主がヤコブを待ち、私たちすべてを待っているものです。」<<<
Sekko :これがカトリック雑誌でのインタビューの最後の部分。
「ヤコブの梯子」というのは「彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。(創世記28,12)」で、天と地を結ぶもの。
スゼネルの挙げる聖書の句は、それこそ「字面」のレベルでは、信仰や伝統を共有しないものにとっては「意味が分からない」「ただの神話 ?」のようなものだけれど、彼女は実は、コーランやヴェーダの研究もしている。
彼女の知見をわかりやすく言ってしまうと、
どんな伝統の聖典でも、それぞれに固有の信仰や伝統のレベルよりも深く掘り下げて読み解くと、すべての人類に共通する潜在意識につながっている、
それを意識化して、聖典に隠された普遍的な知恵の光に照らされて実践することで人は喜びの内に生きることができる、
というものだ。
これは、その後の人生を変えるようなあらゆる「神秘体験」のシンボリズムは共通している、という認識でもある。
スゼネルはそれをユダヤ=キリスト教の言葉で語っているわけだけれど、深層心理学の造詣、心理療法士としての体験をふまえているところが、「神秘家」としてユニークだ。
そう、彼女の言葉は、その学識、カバラ研究の碩学などで一見よくわからないけれど、まさに「神秘家の言葉」なんだと思う。
私の「神とフェミ」論考の中で、創世記におけるジェンダーの分析については彼女の論文に啓発されるところが多い。それは私には手の届かないヘブライ語のカバリスティックな良質の研究がフランス語で読めるということ、しかもその著者である95歳の女性が体現しているものが理解できる気がしているからだ。
現存のユニークなインテリ神秘家スゼネルを紹介するシリーズはこれでいったん終わり、次から、これもユニークな、42歳の脳性麻痺のスイス人哲学者、韓国で3年間暮らして禅の修行をしたアレクサンドル・ジョリアンのインタビューを紹介。
スゼネルの記事と同じ雑誌の同じ号に載ったものだ。興味深い。