(これは前の記事の続きです)
>>>たしかに、この大変な時期に、あなたのパートナーがあなたを大いに支えてくれたということが本の行間から読み取れます。
A.J. 私は本の中で、自分が若い男性に惹かれる傾向があると書きました。けれども、最終的にそこから引き出されたのは私の妻から受けた無条件の愛でした。この愛は私を完全な自由の中で支えてくれました。自分のやりたいことをやるという自由ではなく、傷だらけの状態で愛してもらう自由です。私はタイピングすることが困難だったのでこの本の大部分は妻による口述筆記です。そして逆説的ですが、この作業が私たちをとても近づけました。依存状態にある間妻は私のことを批判しようとはしなかった。今もしていません。その期間は妻にとって最高につらかったものです。このことで、「愛する」とは何を意味するかと考えさせられました。
人はイデアとしての人を愛するのか、あるいは生身で苦しむ存在を愛するのかという問いです。
Sekko : ここまで読む限りでは、すでに依存症から立ち直ったこの人の自信というか「リア充」ぶりがなんだか不思議だ。もともと「脳性まひ」という障害を持って生まれながら、学歴も名声も家族も友人(友人2人との共著がベストセラー)も手に入れて「フツ―の人」よりずっと充実した幸せそうなオーラを発揮しているこの人は今まで特に私の注意をひかなかった。ここの部分の答えを読んでも、「この人、ラッキーだなあ」としか思えない。私がもし「依存症」の恐ろしさを認識していなかったら読むのをやめたかもしれない。
でも、アマゾンの試し読みの序の部分は、
「健康とは試験管の中でできるものではない。」
「生身の人とかわす涙や衝動や喜びの中で試行錯誤してバランスを取り戻していった」
「哲学者とは上から目線で幸福論や人生を説くのではなく、生きることの苦しみを潜り抜け、何が意志を打ち砕き挫折に導くのかについて人に伝えるべきだ。」
「カオスを恐れずに楽しむ」
と締めくくられている。
なるほど、「いたずらな智恵」は、カオスを逃れることでなくカオスを楽しむ境地に至るらしい。
興味津々。
(続く)