(これは前の記事の続きです)
>>>読者として驚かされるのは、深刻な錯乱の状態と一種の超脱の状態が混在していることです。鎖につながれた状態でも人は自由でいられるのでしょうか?
A.J. 不思議なことに私が一人の男に依存しきっていたこの体験は、その前に3年間韓国で修行した禅の体験よりも私を「解脱」に近づけてくれた気がします。
なんというすばらしいことでしょう。恵みとはまったく思いもよらない方法で与えられるのです。無限の苦悩に痛めまで私を追い詰めた依存の体験は、私を解放して、真の喜びが開けました。自由に至るまでにこのような苦しみを通りなさいと他の人に言うつもりなどありません。でも私の場合、最悪の状態がひとつの解脱に寄与してくれたのです。
Sekko : ここまで読んで、ますます興味が湧いてきた。この人がこれまで書いてきたものも、「障害を克服して自己実現した幸福な哲学者」による人生指南、生きる知恵、というテーマだったはずだ。その上、仏教者たちとの交流や、韓国での禅修行や黙想というヨーロッパ人としてオリジナルな「付加価値」もついていた。
それなのに、そんな「成功者」が、その「幸せになるノウハウ」に関わらず依存地獄にはまり、さらに、そこから得られた「恵み」の方が禅修行によって得られたものよりも多かったと言うなんて、ある意味リスクのある告白だ。
(続く)