(これは前の記事の続きです)
>>>「いたずらな智恵」というのはそういうことですか ?
A.J. 信頼するということではそうです。幸せになるためにはすべての問題を解決する必要はないし、愛されるために霊的に立派になる必要もないのです。自分の人格というものを過大評価しないことが結局救いになるのかもしれません。私が依存症の時期につけていた日記では自分のことを「彼」と書いています。座禅で学んだ方法です。苦悶している「彼」を裁くことなくただ眺めて、「ああ、彼は苦悶している」と確認するのです。
Sekko : このやり方はミャンマーの僧経由で教わったことがある。痛いところがあっても、言ってみれば「チョイ幽体離脱」して、「うん、ここが痛いんだね」と確認するだけという方法。私には向いていてけっこう便利だ。
歯医者さんで椅子に座って口を開けているなんていうシーンで、自分から離れてしまえる。欠点は、施術後に「具合はどうですか?」などと聞かれても頭と体がまだ統合していないので、何も言えないか、感じていることを正確に言えないことだけど…。
(続く)