ミッシェル・セールといえば私にとって非常に大切な研究をたくさん提供してくれた哲学者だ。
その彼が88歳で、20歳前後の若者たちの質問をいろいろ受けながら対話している記事を読んだ。
88歳の世代といえば世間では「IT弱者」(私もそうだけれど)の部類に入る人が多そうだけれど、そこはもともと数学者でもあるミッシェル・セール、インターネットはライプニッツの世界の具現だとしている。
なるほど、これまで人間の「発明」はいつも自然の事物や現象にインスパイアされたものばかりだった。魚を見て船や潜水艦を、鳥を見て飛行機を、星の運行を見て人工衛星を…。その中でインターネットだけは自然の中にモデルがない、不可思議だ、と言う人があった。でも、ミッシェル・セールによると、ライプニッツのモナド論、二進法、普遍数学などが「神」抜きで電子知能とインターネットに結実したという。
そんな彼に、若者たちは「今のように簡単に情報にアクセスできるのはかえって危険ではないか」と年寄りくさいことを言う。
ミッシェル・セールが持ち出した回顧談はこうだ。
自分はロ・エ・ガロンヌに住んでいた。何か調べたいものがあると、午後5hにでる汽車にのって翌朝9hにパリに着き、国立図書館に行って登録するのに列を作り、読みたい本を頼んで1-2時間待たされてようやく出してもらった。それが目当ての本でなかったら、またやり直しだ。
それが今では自宅ですべて閲覧できる。
君たちは私が往復の電車の中でゆっくり思索していたと思うだろう。そうとは限らない。
スピードが思索を妨げるとは思わない。逆に、より多くの考えを結びつけることに役立つ。
ほんとうにそうだなあと私も思う。
もうほとんど大学図書館にも行かないで済む。
論文と名の付くものや大学の紀要のようなものはほとんどすべてネットでアクセスできる。
本を書いている時に人名や日付についてちょっとした確認をしたい時にも、昔は「百科事典」をどっこいしょと本棚から降ろしていた。
フランスにいるので、フランス語で読んだ言葉が日本の「業界」で一般的にどう訳されているのかも調べられなかった。日本での先行研究があるのか、関連書がどのくらいあって誰が何を書いているのかも分からなかった。
有名だった「京大式カード」を使っていた時代もある。
大切なのは情報リテラシーと、知の組み合わせなのだろう。