アップルのCEOのティム・クックが11/18のインタビューでこう言っていたのを揶揄するフランス語の記事をたまたま目にした。
この部分だ。
“Generallyspeaking, I am not a big fan of regulation. I’m a big believer in the freemarket.
この「believe in」というのはもちろん「神を信じる」という表現と同じだ。
つまり、自由市場を信奉している、信仰しているというのだ。「規制」の大ファンではないけれど市場主義のファンだ、というのではなく、規制の大ファンではないけれど自由市場の「大信者」だと言っている。
(たとえ)それが機能していなくても..と続くのだけれど、そして、それも突っ込みどころ満載なのだけれど、ともかく、ほーらね、やっぱり市場経済至上主義は「経済」ではなくて「宗教」なんだ、という話だ。
これが日本人の口から「信じております」「絶大な信頼を寄せています」と言うなら、スルーできるけれど、何しろアメリカのような国でリーダー的な人は政界でもみんな財界でもみんなキリスト教的含意まみれの言葉を使っている。神への信仰、神の助け、神のご加護などの言葉のない大統領就任演説もない。
そのティム・クックは2年ほど前にMITの卒業生に贈るスピーチで、こんなことを言っている。
>>>どうすれば、私も人のために尽くすことができるだろうか。これこそ、人生において何よりも大切で、最も大きな問いです。
自分より偉大な何かを目指して努力していれば、生きる意味、目的を見つけることができる。だからみなさんにも、「どうすれば人のために尽くすことができるか?」という問いを抱いてほしいと思います。<<<
そういえばアップルのスティーブ・ジョブズもスタンフォードでの卒業式スピーチで感動を集めたし、クックも、ジョブズの人生観に感銘してアップルに入ったのだそうだ。
うーん、『神と金と革命がつくった世界史』でも書いたけれど、最初に理念があっても、いったん組織ができて収支を伴う動きに入れば、経済活動はいつのまにか「カネ」の論理、生産性の論理に従ってどんどん動いていく。
で、みんな、もう理念や建前なしのあからさまなカネという偶像崇拝に向かうのかと思えば、アメリカのような「神の国」で成功する人たちは、キリスト教の理念を口にすることは続けているわけだ。
それを耳にするエリート卒業生たちの中には、サンダースらの社会民主主義に積極的に与する者も出てくるかもしれないし、ビル・ゲイツのように早めにリタイアした後で本格的に人道活動に向かう人も出てくるかもしれない。
それでも、そういう「宗教的確信」の言葉が、ネオリベ信奉についても利他主義についても、全方向に簡単に発せられるアメリカというのは今さらながら不思議でもある。
フランスのエリートはこういう言い方を避けるように「共和国主義」を叩きこまれているので、一応「言葉の棲み分け」はある。だから、公人のスピーチにおける宗教的含意や失言についてもセンシブルだ。ティム・クックも揶揄される。
フランスとアメリカを比べるのはある意味で分かりやすいのだけれど、それに比べると、日本の公人の発する言葉の失言だの揚げ足取りだのに関する話題の浅薄さについては、どう考えていいのか、分からない。