(これは一昨日の記事の続きです)
紀元366年、ローマ法王リベリウスが死んだ後、教会は二分していた。
まず、古代ローマの中心部にあったユリア・バジリカ聖堂で補佐司教だったウルシヌスが新法王に選出された。けれども、別の一派は後のダマシウス一世を応援し、ウルシヌス派の一部を賄賂で味方につけた後、バジリカ聖堂を襲撃した。百人以上が殺された。
さらに激しい実力行使によってラテラノ大聖堂を占領して、そこでダマスス一世を新法王として選出した。(その後2人の法王の時代は2年続き、ダマシウス一世は378年のローマ公会議によって正統な法王だとされ、381年のアキレイア公会議で、ウルシヌスは「反法王」として法王位を剥奪されローマ教会の歴史から消された。)
で、それまでもアリウス派との確執でもめていたローマ教会なのだけれど、ダマスス派による暴動や殺人まで経て選ばれたこのダマスス一世は精力的な改革に踏み切った。カタコンブを修復し、四度の公会議を招集し、ヒエロニムスに聖書のラテン語訳をするように説得するなど、ローマ教会の基礎を固めて、今は「聖」ダマスス一世として12/11に祝われている。
敵対する陣営を惨殺するような暴挙を経て選ばれたダマシウス一世、もし彼が選ばれていなかったら、改革はなく、その後のローマカトリックの歩みはひょっとして違ったものになっていたかもしれない。
フランス革命も、暴力や破壊によって民主主義の共和国主義国家を生んだ。
ローマ教会とフランス革命の違うところは、フランス革命での新たな「政権」の担い手たちはさらに分裂し、過激化し、互いを殺すテロルの時代に突入し、その後でまた帝政だの王政復古などを経て「共和国」の理念遂行を今も絶えず模索し続けているということだろう。
絶望した者の暴力だけが変えることのできる未来というものはあるのだろう。でも、その後に何が起こるのかはまた別の話だ。新しい次の指導者がマクロンのように「ジュピター」と呼ばれて雲の上からの上から目線で語るのか、無抵抗で十字架につけられて死んだナザレのイエスのように弟子たちを友と呼び足を洗って、フランシスコ教皇のようにその足に接吻するのか、そのモデルの違いは大きいなあと今さらながら思わずにはいられない。