先日、朝のラジオ・クラシックで、ナポレオンの息子の一生を語りながら音楽でたどるものがあった。
私は『ナポレオンと神』で彼のことは少し触れたけれど、主題は父親の方だったから深く掘り下げていない。でも、この若くして死んだナポレオン二世のことを考えるといつも胸が詰まる。
フォンテーヌブローでみたガラガラのおもちゃ、ウィーンでみた子供ベッド(ここに写真あり)、ヒトラーがウィーンから移したアンヴァリッドの墓所。
あの息子がいなかったらナポレオンは討ち死にしていたのではないかと思う。
皇帝とはいっても、フランス革命の後だから、彼はフランス帝国の公邸ではなくフランス人の皇帝と称した。ハプスブルグのマリー=ルイーズを迎えても、息子が生まれるとは限らなかった。誕生の時、逆子ですぐに息をしなかった。
男子だと101の礼砲が、女子だと21の礼砲が撃たれる。国民はそれを待っていた。21発目の礼砲まで緊張が高まっていき、その後で群衆が一瞬凍りついた時、22発目が鳴り響いた。その時のフランス国民の熱狂を再び見るのは、それから百年以上後の1918年の第一次大戦終結の朗報の時だったという。
ナポレオンはチュイルリー宮のバルコニーから息子を両腕に掲げて群衆の歓呼に向けて差し出した。彼はこの息子を「フランス国民」に捧げたのだった。国民もそれを信じた。
(今のフランスは、新大統領の就任式に21の礼砲だから、女子並み? 2013年だったか、イギリスの王子に息子が生まれた時は103発だったそうで、20発は子供のため、21発が女王のため、21発がロンドン市のためと圧ったけれど、では残りの41発は?…)
その後の悲劇、ハプスブルグのフランツ皇帝の孫であるこの息子がウィーンでは「フランツ(=フランソワ=フランス)」と呼ばれながら、悲劇の一生を送ったことは知られている。
で、この息子が結核で亡くなったシーンがラジオで語られた後すぐに流されたのが、シューベルトの「白鳥の歌」の第四曲だった。私にすでに彼の運命への思い入れがあったせいだろうか、この曲が今まで聴いた一番胸に響く葬送曲であるかのように響いた。チェロとピアノの編曲である。
この曲はシューベルトの『セレナーデ』として有名で、初心者でも弾きやすい(実は左手の正確さと右手の三連音符の関係が初心者には難しい)ピアノ曲としても知られていて、私も子供の頃から弾いていた。でもその時はこのような悲劇的な感興を覚えたことはない。センチメンタルという感じはあったけれど。
で、この文脈でのチェロの響き。
曲が終わってから私はすぐにヴィオラを取りに行った。
チェロで弾けるものはすべてヴィオラで弾けるからだ。
少しキイを下げてはじめの部分を弾いてみた。
その後で試しにピアノの楽譜を探して弾いてみたけれど、やはりヴィオラには負ける。
もとは歌曲だが、やはり切々と「歌う」ことは人間の声と似た音域のヴィオラやチェロのボウイングによって圧倒的に地平が広がる。
こんなになじみの曲が、ナポレオン二世とその父の運命と突然ぴったり重なったのは衝撃的だった。
藤原真理さんのコンサートではアンコールではいつもサンサーンスの「白鳥」で心が満たされるのだけれど、このセレナーデも聴いてみたい。
40の手習いでヴィオラを始めてもう四半世紀になるけれど、ヴィオラを弾けて良かったと思うのはこういう時だとつくづく思う。