「対話」「議論」「意見交換」を打ち出したマクロンが1/15にノルマンディに出かけて地方自治体の代表たち600人と、午後の7時間に及ぶノンストップの質疑応答をした。テレビで生中継があった。
内容についてはまた別の時に書くが、日本人の感覚で驚いたのは公開で、休憩なしの7時間近くの長丁場というところだ。トイレ休息もコーヒータイムもない。私が一部を見た時はマクロンは立ったままで水も飲んでいなかった。
これをフランス全国でやっていくというのだから、今までの「王さま」スタイルが高くついたというわけだけれど、それにしても体力と気力はすごい。
さすが41歳の若さ。働き盛り。
でも、今まで見捨てられていたと嘆く地方に出向いて「庶民」と向き合ったにしては、相変わらずの「優等生」言葉を頻発して、実況でいろいろな批判がツイッターで飛び交った。
第一、「中央から無視された地方」というのを
"Un sentiment de déprise lorsqu'ils sont dans la ruralité".
と表現した。このdéprise というのが、「辞書を引かなくては分からない」と揶揄された。
私などはむしろ、単純に、priseの反対だと連想するので何の抵抗もなかったけれど、「今」風、「庶民」風に、
les campagnards sont des laissés pour compte.
と言えばいいのに、と揶揄されたのだ。
うーん、もともとマクロンは、リセの頃から愛聴のシャンソンもジャック・ブレルとかレオ・フェレの曲だったとかで、完全に時代錯誤だった、と言われる。
確かに、マクロンの親世代である戦後のベビーブーマーのテイストだ。
若い世代からは「スノッブでジジイくさい」と言われ、その「ジジイ」からは「青臭い」と言われるのだから気の毒でもある。
今、「黄色いベスト」運動が極右ル・ペンにとりこまれようとしている傾向が強くなってきたから、マクロンが全力で「下々」と「向き合う」のは悪くはない。
それにしても、あんなに「下品」で「無教養」な言葉や態度を頻発していたサルコジに対しての方が、攻撃も下品だったけれど、分かりやすいと言えば分かりやすかった。
マクロンって、かなり逆説的な存在だ。
教養は「謙虚」に裏打ちされていなければただの「武器」だと思われる。
「黄色いベスト」の多くの人がマクロンに求めているのは「教養」でなくて「謙虚」だということが彼にはまだ分からない。
これは前から書いていることだけれど、フランス人はよくしゃべる。どんな人でも、根拠がなくても、滔々と自説をまくしたてる。フランス語自体にもそのメカニズムがある。
確実に思えることは、どこかの国の首相なら、批判的な人々、不満を持っている人々の前で7時間も直接質疑応答するような体力も気力も語彙もないだろうなということだ。
(細部をチェックするのが必要な時があるかもしれないので、自分のためにここに全シーンを貼り付けておきます。)