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L'art de croire             竹下節子ブログ

「黄色いベスト」とフランス貴族とカトリック教会

フランスの貴族のことを表す言葉に「青い血」というのがある。


「青い血」と「黄色いベスト」ではだいぶ違うように思われるけれど、実はこの二つを結ぶのが、カトリック教会とその「地方」性だ。

すでに『無神論』などで書いたことがあるけれどフランス革命前後のフランス人というのは、本気で神や教義を信じているかどうかというよりも、教会や冠婚葬祭や地域の互助が一体となっていて、「町内会」的結束を維持していた。そして「貴族」はそれをまとめるカトリック教会の経済的なパトロンでもあり、その教区に領地と城がある「町内会長」的な存在でもあったのだ。フランスの教会が歴史的にローマ教会に完全に従属しない自治権を持っていたこともそれに関係している。


フランス革命はもちろんこの「領地制度」と「教区制度」を無化することになった。

多くの城も教会も名目は共和国の手に渡った。けれども、それが政治的に財政的にもうまく機能せずに、結局は、貴族による城の買い戻しやカトリック教会(フランスの国教ではなくフランス人の宗教だとナポレオンは言った)の復活に至った。

で、19世紀に何が起こったかと言うと、が革命の推進者でもあった新興ブルジョワジーがまるで雨後の筍のように「シャトー(城)」を建て始めた。フランス語のシャトーとは、英語のキャッスルやドイツ語のシュロスなどとちがって、広い土地付きの「大邸宅」も含む言葉だ。ブルジョワジーは、領主ではなかったけれど、「貴族のような生活」に憧れた。貴族風の姓を「買う」者もいた。


今回「黄色いベスト」運動の中核になっている「地方の庶民」は、フランス革命前の困窮の中で、ブルジョワジーと共に、王侯貴族や彼らと結託する聖職者らを処刑したり追放したりした。(もちろん王党派についた例外の地域もある)

で、その後の世紀にブルジョワジーたちが富を蓄積して「貴族」のような生活をして城を建てまくっても、「庶民」たちはそれほどには反発しなかった。なぜなら、産業が発達し、経済が「成長」して、雇用が増えたことで、庶民もその恩恵を受けたからだ。

その状態は第二次世界大戦終結の時期まで続いた。

けれどもその後で経済は「金融経済」にシフトした。「投機」による富の蓄積だ。

20世紀終わりの冷戦終結がそれを加速して貧富の差を拡大したのは周知の事実だ。


フランス革命は「平等」を要求した。

真偽は別として、「パンがないならお菓子を食べれば?」的なマリー=アントワネットに代表される特権階級が苦しむ庶民と完全に別世界にいることが人民の蜂起につながった。

1840年の絶対王政のフランスで活躍したギゾーはプロテスタントの弁護士家庭出身だったが、1847年に首相になった時に、選挙権を求める民衆のデモに対して「選挙権が欲しけれど金持ちになればいい」と豪語して、1848年の2月革命を招き亡命を余儀なくされた。

「黄色いベスト」運動の勃発を招いたきっかけにも、マクロン大統領の「上から目線」がある。「努力すれば豊かになる、貧しい者は努力が足らない」式の金持ち(彼はまさに金融経済の勝ち組だった)の見下しが、庶民の怒りに火をつけたのだ。

それは「貴族」に向けた怒りではない。

襲われるのは銀行で、城ではなかった。でも、金融システムを倒す革命は王政を倒す革命よりもずっと難しい。


公には何の特権も有さないフランスの貴族階級に属するのは人口の0,2%(日本のカトリックの割合の半分というマイノリティだ)で、彼らはそういう歴史から学んだこともあるだろうけれど、自分たちのアイデンティティをキリスト教的な利自己犠牲と利他の精神に求めてきた。

貴族、カトリックというと「超保守」という偏見を持つ人は多いが、日本でも知られる「ノブレス・オブリージュ」という義務感や使命感が今でも生きている。それこそが、ブルジョワの保守カトリックと自分たちを分けるものだからだ。

フランスのカトリック教会自体も革命やら政教分離の歴史に学んできたし、カトリック教会全体も、第二ヴァティカン公会議以来、「布教」的言説を慎み、より普遍的な「弱者救済」の言説を繰り出すようになってきた。

「黄色いベスト」運動についてクタンスの司教が話しているのを聞いたが、この運動は教会と無縁ではなく、不平等社会への疑問を共有するのは教会の使命だと感じて12月の初めから積極的に関わっているという。購買能力や可処分所得のアップなどの要求、の底で一番切実に求められているのは、「労働における尊厳」と「霊的な助け」の二つだと受け取っている。

「貴族」たちもそれに呼応する。

貴族はそのルーツが地方の「所領」にあるので、本質的に「地方の矜持」があり、「金持ちになる」上昇志向とは逆の価値観、他者への奉仕、そしてキリスト教に養われてきた「超越」志向があるのだ。

実際は、サン・ゴバングループのCEOピエール=アンドレ・ド・シャランダール、アクサグループのアンリ・ド・ラ・クロワ・ド・カストリ 、パリ空港のオーギュスタン・ド・ロマネ、Medef(経団連みたいなもの)会長のジョフロワ・ルー・ド・ベズィユーなど実業界のトップに君臨する貴族階級もたくさんいる。

(こういう人たちの中にはゴーンと同じくポリテクニックを経てミーヌ(国立高等鉱業学院)に3年在籍という学歴の人もいるのだけれど、Wikipediaにもちゃんとそう書いてある。やはりゴーンはポリテク内差別を受けているのだろうか…)


そして彼らの大半は、その「貴族の矜持」が名前と教育に張り付いているので自分の金に対して「清廉潔白」である確率が高いとされる。

今回カルロス・ゴーンに代わってルノーのCEOとなったジャン=ドミニク・スナールの家系はいわゆるフランス貴族ではないがヴァティカンによって「ローマ伯」の称号を代々受け継ぐ家系だ。

カルロス・ゴーンが同族企業のミシュランではどうしても出世できないと切りをつけてルノーに移ったけれど、スナールは、2011年にミシュランではじめて同族以外の出身のCEOの地位を獲得している。スナールは他の大企業でも働いていたが、コストカットや人員削減の非人間性と厳しさに耐え切れず精神的にまいっていた。そんな彼に(ゴーンの離反の原因になった)エドゥアール・ミシュランが連絡し、企業における互いの社会的見解が一致して友人となり、スナールはミシュランに移った。(その後でエドゥアールが事故死している。)ミシュラン家は地域に根付いたカトリック教会の庇護者としても知られている。従業員を守りたいという彼らの感性は一致していた。


こうなるとゴーンには太刀打ちできない世界なのかもしれない。

ゴーンはヴェルサイユ宮殿を借り切って結婚披露宴をしたけれど、スナール家には350年前から南仏に立派な農地やブドウ畑や城がある。王ではなくてローマ教皇から叙階される貴族の権威はヨーロッパの貴族同士のグループの中でも権威があるそうだ。

推定無罪とはいえ社会的には「汚点」のついたゴーンの代わりに、一点の染みもないこういう人材だってフランスは提供できますよ、というパフォーマンスになっているわけだ。

新興国アメリカを通して見ると、ただ、「アメリカン・ドリームの成功者である金持」と底辺で搾取されている「貧乏人」との格差が広がるというのがネオリベのイメージだけれど、ヨーロッパでは「金持ち」内でも、まだまだ「貴族」と「ブルジョワ」のメンタリティが互いのアイデンティティとして分かれているというのが実情らしい。

もちろん貴族は一枚岩ではなく、ほんとうに没落していたり、金のためにブルジョワとの結婚を重ねる人もいくらでもいる。けれども、ある程度の富を維持していたり、ビジネスでも成功するエリートたちは、キリスト教的な弱者保護の「建前」だか「義務」だかを意識化しているということだ。

一般に貴族の家庭は子だくさんで、しかもそのうちの半数以上が司祭職についたり修道者になったりするケースがあるけれど、あれは、別に「財産を散逸させないように分家を減らす」ためや「何人かを高位聖職者にして家族のために祈ってもらう」ためなどではなくて、子弟の教育の中に本気で「他者のために尽くす自己奉献の生活」を選ばせるような何かがあるからなのかもしれない。(親の「建前」が子供の「本気」になったことであわてる親たちがいないとも限らないけれど。)

では、イギリス貴族などと比べてどうなのかというと、とても違う。なぜなら他のヨーロッパの国の貴族は今でも「貴族」だからだ。フランスだけがフランス革命によって「公式の貴族」「社会学的に存在するカテゴリーとしての貴族」が消滅した。だからこそ、フランスの「貴族」たちのアイデンティティが「ノブレス・オブリージュ」に集約していくということだ。彼らは何でも「マキシマムなところを見せない」というフレンチ・エレガンスを守っている。財力や権力の誇示はもちろん、「自助努力」が大切、というのは彼らの美学に反している。

(このへんは、なんとなく、日本の武家社会で武士は質素に暮らして、豪商たちが絢爛と暮らしていたみたいな図式を想起してしまう。今はやりの断捨離とかミニマリズムとかはどうなんだろう。)


(ここで書いたフランス「貴族」の実態は、ソルボンヌの社会文化史学教授であるエリック・マンスィオン=リゴーのインタビューを援用したものがほとんどです。フランス革命以後のエリートの変遷の研究がおもしろく、文化や伝統の継承ヘの義務感というものがどういう表現をとるのかを見るのは興味深い。彼は博士論文を書くときに、フランス史の中でそれまで農民の歴史、労働者の歴史、聖職者の歴史、ブルジョワジーの歴史が書かれて来たのに貴族の歴史がほとんどないことに気づいたという。)


著書にAristocrates et Grands Bourgeois (Perrin,2007), L’Ami du Prince (Fayard,2011), Singulière noblesse : L'héritage nobiliaire dans la France contemporaineFayard, 2015)などがある。

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マンスィオン=リゴーはナント生まれの「普通の人」だけれど、エコール・ノルマル・シュペリユールを出たアグレジェで立派な「共和国エリート」である。彼の人柄にもよるだろうけれど、彼がエリート仲間でなかったら貴族たちがこんなに率直にフィールド調査に答えてくれたかどうか疑問だ。

結果、研究はカリカチュアにも陥らず非常にバランスが取れている。

(うらやましいのはフランス語だ。私もフランス語でなら多様なフランス人にいくらでも答えてもらえるけれど、日本人に日本語で質問するといろいろハードルがあってなかなか難しい。)


by mariastella | 2019-02-02 00:05 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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