ショコラ -- 君がいて、僕がいる『ショコラ --- 君がいて、僕がいる 』(2015) 監督・脚本:ロシュディ・ゼム 先日TVで放映されたのを見た。 公開当時に予告編を見てもなぜか観に行く気がしなかった微妙な映画だ。 「ショコラ」という芸名の黒人の道化師役のオマール・シーは『最強の2人』で日本でもよく知られている。今もキャリアの絶好調で、カリスマ性はすごいし、舞台シーンの演出をすべて任されたフティット役を演じたジェームス・ティエレ(チャップリンの孫)も名演だ。 映画の中でリュミエール兄弟による撮影シーンが出てくる実物の映像も最後に流れる。 これで見ると、実物のショコラはフティットより背が低い。そして実際は、北の地方サーカスで「人食い人種」を演じていたわけではなくて最初からパリである程度の人気キャラだったそうだ。それに比べてオマール・シーは体格もよく堂々としているから、客を怖がらせる「人食い人種」役だったという設定というのもまあ分かるし、その彼がコンビでは殴られ役に徹するからこそおもしろいし、ある意味で見ている方の罪悪感が軽減される。 「人食い人種」役というのは、「黒人」がアメリカでのような「社会の被差別構成員」ではなく「見世物」として成立していたヨーロッパならではの話だ。 この見世物が「人間動物園」だった。(この記事で書いた) 映画の中で、ショコラもパリの植民地博覧会に訪れて展示されている「原住民」を見るシーンがある。それは「アフリカ」とのはじめての「出会い」でもあった。 でもショコラはキューバの奴隷の息子で、アフリカから来た「原始人」ではない。 遠いアメリカから来た「異種」だった。 だからこそ、「人食い人種」を「演じる」ことができたのだとも言える。 これにはジョセフィン・ベーカーのキャリアのことを想起させられる。 ジョセフィン・ベーカーはアメリカ生まれのユダヤ人と黒人のハーフだが、黒人のレビューグループ、チョコレート・ダンディーズ(これもショコラ!)のメンバーだった。1925年パリのシャンゼリゼ劇場で「レビュー・ネグロ(黒人レビュー)」に出て大成功をおさめた。半裸でバナナを腰の周りにぶら下げただけという衣装も有名だ。「南海の女王」「はだかの女王」そして「タムタム姫」などで「南洋の土人」を主演した「アメリカ人」なのだ。 ショコラと同じようにフランスで大成功したけれど、祖国アメリカでは人種差別に苦しんで、結局1937年にフランスの市民権を取得し、第二次世界大戦ではレジスタンスに関わり、中尉として飛行士になり、戦後は勲章を授与された。その後、日本の孤児2人を含めるさまざまな国の子供たちを養子として古城で暮したことでも有名だけれど、私は『孤児たちの城―ジョセフィン・ベーカーと囚われた13人』というドキュメンタリーが『新潮45』に連載されていた頃ずっと読んだことがあるので、複雑な気分だ。 オマール・シー自身はアメリカではなくカリブ海でもなく西アフリカのセネガルからの移民の子弟でフランス生まれ。 監督のロシュディ・ゼムはモロッコからの移民の二世。 俳優でもあり、いい映画も監督している。 私はこれまでに2作見ていた。その一つ『ボディビルダー』の感想はこのブログにもある。 この『ショコラ』を手掛けたのは、19世紀末のパリを撮りたかったこと、2人の男の友情を語りたかったこと(『最強の2人』と同じプロデューサーらしい。映画ではフティットがゲイを思わせるように描かれているけれど、実際は妻子もいる上に女好きだったという。でも、才能ある二人のプロの結びつきを強調して語る意味はある)、そしてエピキュリアンであるショコラの栄光と転落の人生を描きたかったからだという。 オマール・シーも、ロシュディ・ゼムも、今のフランスの「多様性」のすばらしい例だ。 フティットはイギリス人だったそうで、フティット役のジェームス・ティエレも、スイス生まれでサーカス育ちの国際派だ。 もともと、昔から今に至るまで、「サーカス」というのはインターナショナルな場所だ。言語によらないパフォーマンスの場だからか、サーカスも、オーケストラも、国境がなく、技能さえあれば差別などない世界だ。 その意味では、その中で「黒白」コンビで笑わせるからと言って、それは「演技」であり、金を払って観に来るパリの観客は単なる「差別感」を「満足」させていたのではない。黒人を「異種」と見ていただけだ。(第一次大戦でアメリカの黒人兵たちが大挙してフランスに入ったのを見てはじめてジャズが爆発的に流行ったが、19世紀末の時点では「対等な人間」とは見ていなかった。同時に、個々人をことさら差別するほどの認識もなく、だからこそ、ショコラのように「アイドル」にもなれたわけだ。蝋人形館にも陳列された。もちろんそうなると「嫉妬」もあるし「憎悪」も生まれてくる。) ショコラ自身も、舞台での役割を屈辱だと感じたことによってではなく、成功した「成り上がり」エピキュリアンとしての暮らしの中ではじめて、キューバで奴隷だった父の姿を見て以来の実存的な被差別感を意識したのかもしれない。 1897年のパリで彼ら「白黒」コンビがデビューしたのは「パントマイム宮殿」と言われていた建物で、今はパラスホテルであるマンダリン・オリエンタルのある場所だ。 2人の芸で、ショコラが「殴られ役」であることを「差別」として見るのかどうかが微妙だ。 漫才などでどちらか一方が殴られっぱなしというキャラはある。 でもショコラが単独でポスターに登場した時は、キャプションにbattu et contentとある。 「殴られてもニコニコ」という感じだけれど、別にマゾヒストだと見られていたわけでもなく観客もサディックな目で見ていたわけではないだろう。 実際は彼らの演し物にはいろいろなヴァリエーションがあったそうだし、白塗りしたフティットも「ゲイシャ」姿で「ありがとう」などというシーンもあるけれど、これもまたサーカスの見世物であってここで「日本人差別」があったとも思えない。ショコラはおおらかでいつも楽しそうで生き生きしているからこそ、殴られるのを見るのがおもしろいので、白塗りで貧相なフティットやゲイシャが殴られるのを誰も見たくない。 それだけに、嫉妬によって不法滞在を密告されて捕まったショコラが拷問されたり、賭博の借金を取り立てるギャングに襲われたりする暴力シーンを見るのはつらい。 実際のショコラは逮捕されたことがなかったし、子供も芸人になったそうだ。映画では人気の頂点から零落していく結末までが誇張されてドラマティックに描かれているわけだ。 「どうして君は笑ったことがないんだ」とショコラに言われるフティットが、最後にはじめて笑い出し、やがて嗚咽するのがラストになる。 この、天才だけれど地味で陰気に見えるフティットを演じるジェームス・ティエレの陰のあるインパクトはすごい。チャップリンの血って濃すぎるのか、祖父の哀愁と可笑しみが2重写しになる。 それにしても、オマール・シーが今圧倒的な人気の役者でなかったなら、そして監督もアフリカ大陸にルーツを持っているロシュディ・ゼムでなかったら、この映画は実現できなかったかもしれない。ジェームス・ティエレの演技と芸のレベルの高さに感心する機会もなかったかもしれない。 フランスでこういう映画を見ると、考えさせられることが多すぎる。
by mariastella
| 2019-02-16 00:16
| 映画
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