カトリック系ラジオで毎朝、フランスの各地の司教にインタビューする若手ジャーナリスト でマリー=アンジュ・ド・モンテスキューという女性がいる。
定期的に耳にするうちにすっかりこの人のファンになった。自分の父や祖父のような年配の司教や大司教や枢機卿に臆することなく、というか絶えず矛盾を突くかのような挑発的な問いを率直に投げかけて本音を引き出しているのだ。
特に、毎土曜の8h45から10分間のパリ大司教オプティ師へのインタビューが面白い。
時に真剣勝負だけれどオプティ師はいつも同じように生き生きとして新鮮で精神の若々しさがにじみ出ている。
このふたりが互いをリスペクトしながらこのインタビューを楽しみにしている様子が伝わってくる。
3月のはじめはペドフィリアについてだった。
「欲望」とか何かについて、まず「医学部の教科書を参照してみた」というのは、現役医師10年の経歴ならではだ。
「欲望」には、遺伝子やホルモンなどに基づく生物学的な側面、
そして霊長類から見られる情動的な側面、
最後に人間にだけ見られる「意志的なもの」がある
と医学の教科書に書いてあるという。
まさに「知・情・意」の世界だ。
同じように、「愛する」にも三つの要素がある。
そもそも「愛する」ということには知的なもの、官能的なもの、そして愛情という三つだ。理性と肉体と感情ということか。
で、大切なのは、「欲望」が「欲望」の充足で終わるのではなく、「愛」を構築しようとするものであるかどうか、なのだそうだ。
「欲望」と「愛」について、「欲望は卑しい、愛は崇高」みたいに分けるのではなく、
「愛につなげる意思のある欲望の生き方」が求められるのだという。
「欲望を愛につなげろ」と言い切るのではなく、「愛につなげようとしろ」というのがポイントだ。
このインタビュアーのマリー=アンジュ・ド・モンテスキュー、名前からすぐ分かるように、啓蒙の世紀の『法の精神』で世界の思想史に名を残すモンテスキュー男爵の家系の人だ。モンテスキューと言えば、イギリス滞在中にフリーメイスンのメンバーになり、1734年(すでに『ペルシャ人の手紙』で知られていた)のパリで、他の貴族やイギリス貴族たちと共にフリーメイスンの会議に参加した記録が残っている(このフリーメイスンはフランス革命につながった啓蒙思想のグループであり、秘密カルトのようなものではない)。
直系子孫であるマリー=アンジュはパリ政治学院の法学マスターでジャーナリストとして活躍している。 乗馬療法士の資格を持っているというところが、貴族っぽい感じもする。
乗馬療法(équithérapie)というのは馬との触れ合い、乗馬を通した身心療法だそうだ。フランスっぽい。(ヒポクラテスも唱えていたし、ディドロの百科全書にも乗馬の効能が載っている。19世紀後半に半身不随や呼吸困難のリハビリとしての研究が始まった。英語や日本語ではヒポセラピーhippotherapyとよばれる。)
それにしても、こういう人が毎週パリ大司教を相手に丁々発止で興味深い言葉を引き出していることには、さすがフランスというか、フランスの歴史や文化の継承の確固さを感じさせられて、すこし、うらやましい。