主治医の医院の待合室で手に取った雑誌で、マクロンの「失言」について精神分析医が質問に答えているのを読んだ。
マクロンが「黄色いベスト」運動から傲慢さを攻撃されているのにかかわらず、「努力が足らない人がいる」的な言葉を発して「炎上」していることで、「どうして口が滑るのでしょう」という質問に、あれは口が滑ったというのではなく、彼には建前を語るという体験が欠けているのだという。
シラクもサルコジもオランドも、みんな、心の底で思っていることとは違う建前を語るというスキルがあった。というかそれは大統領という職務に付随しているスキルなのに、マクロンはそれを学んでくる期間がなかった。
それだけではない。
マクロン自身が、自分が選ばれた理由の一つこそ、自分がこれまでの大統領のように二枚舌を使わないで、考えていることを率直に口に出すという「違い」を認められ期待されたことだと信じている。
エリートの「傲慢」な言葉もそのまま出せば「自分らしさ」としてポジティヴに評価されると思っているらしい。
けれども、実際の人との距離の取り方には極端な幅がある。
ジュピターとして神のようにふるまうかと思えば、やたら体に触れたり、近すぎる、親しみすぎる時がある。
うーん、これは「分析」というより事情の把握という感じだ。
でも、いつもよく言われる「マクロンは若いから未熟だ」という形の批判よりは、ずっと説得力がある。
若くても「本音と建て前」を使い分けるスキルを身につける人はいくらでもいるからだ。
大切なのは本音と建前を意識化していて、二つの間のその関係をどう分析して、アクションにはどのように反映していくのかという「決意」の部分だと思う。それが真摯であれば伝わるだろう。
「知・情・意」にたとえて言えば、本音が「情」に依拠していても、建前は「知(理性)」で武装すべきだし、それをふまえて、あるべき道を進む「意志」を構築するということだろう。
それを感じさせる政治のリーダーというのは、めったに、みつからない。