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L'art de croire             竹下節子ブログ

カトリック教会のもうひとつのスキャンダル 修道女と司祭


これを書いている3/6は復活祭前の四旬節が始まる「灰の水曜日」。(前年の小枝の祝日に使った枝を燃やした後の灰を額に塗布するのだから聖性のリサイクルとしては、日本の寺社で前年のお守りなんかをどんど焼やお焚き上げなどで燃やしてもらうのからさらに一歩進んでいるなあという気もする。で、昨日がカーニヴァルの最終日だったわけだけれど、それに合わせたのかどうか知らないけれど、独仏合同製作社のArteが衝撃の告発ドキュメンタリーを放映した。

カトリック教会、ペドフィリアに同性愛、と、カトリック教会はこのところスキャンダル続きだけれど、その次は司祭による修道女の性被害ということで、それを告発するドキュメンタリー Religieuses abusées,l'autre scandale de l'Église という番組が放映されたのだ。

個々の「犯罪者」である司祭だけでなくシステムとしてのカトリック教会全体を弾劾するトーンだから、今さらながら、ほんとうに使命感に駆られて正義感が強く弱者に寄り添っている多くの聖職者のことを思うと気の毒になる。

確かに単純に個人の「性犯罪」とは言えないところが難しい。相手は未成年ではないし、当該司祭は「合意」があったという。霊的な行為だというひどい奴もいる。

修道女たちは従順の誓願をしている。閉鎖空間で司祭と向き合い、霊的指導だとかキリストが私を使っているとかのレトリックを駆使されて誘導されると抵抗するのは難しい。 


過去に受けた性被害を今告発しているフランスの元修道女は、すでに故人となった司祭2人(彼らは兄弟で、それぞれ修道院付き司祭とカトリック共同体付きの司祭でまるで引き継いだかのように一人のシスターを何年もハラスメントしていた。いわば、「合意」しているシスターは誰かという申し送りがあったわけだ)に誘導された行為をどうして拒否できなかったのか自分でも理解できないという。

カルト宗教などで語られる教祖と信者の間のマインドコントロールと同じような状況だったのだろう。

その元シスターは、そのことについて語ることができずに死んでいったシスターたち、語ったのに信じてもらえなかったシスターたち、今でも語ることができずにトラウマに苦しむシスターたちのために告発を決心したのだという。

心理療法士であるカナダ人のシスターは、ペルーで看護師として働いた時に、司祭によるシスターへの性虐待のことを知り、性被害に遭ったシスターたちを救済する活動を始めた。そのことを後悔するある司祭(顔出しはしていず声も変えられている)に彼女が質問しているシーンも撮影されていた。まるで司祭がシスターに告解しているような感じだ。彼は、そのような例があること、自分は否認していたけれど妊娠に至る例もあることを認め、その場合は中絶が勧められたり、還俗が勧められたりする例があることも認めている。


妊娠中絶を勧めること自体がカトリック的には充分「罪」であるのはもちろんだ。


西アフリカの場合には、エイズが蔓延しているから、欧米から来た司祭たちには、感染をおそれて売春婦や一般女性信徒に向かうのでなく、衛生的に確かであるシスターや志願者たちを「性奴隷」のようにしている者がいるという。妊娠が発覚した時は胎児の心臓を止めてから死産させたり、中絶させたり、養子に出させたりしたうえで、司祭は転任、シスターは昇進するか排除されることになる。

ヴァティカンの大学で学ぶ多くのアフリカ人シスターの中には、資金をまかなうために内輪の売春をするようにと裏組織から促されるという例もあるのだそうだ。女性蔑視と人種差別が重なっている。

旧植民地の有色人種ではなく、ヴァティカンで勉強していたドイツ人シスターの場合の証言も紹介されたけれど、彼女は別のところにやられ、結局修道会を去ることにしたら、3000ユーロと交換に口外しない誓約書にサインさせられたと言っている。

修道女は清貧、従順の誓願もしているから、やめようとしても簡単には暮らしていけない。

また司祭を「神の代理」と見なす伝統だから信仰深いシスターほど悩むことになる。

といっても、ヴァティカン大学の博士課程で学ぶようなシスターたちは知的レベルが高いのだから、そんな虐待をして口を拭えると思う司祭の方の知的レベルを疑ってしまう。(まさに、このテーマについて今博士論文執筆中のシスターがいるそうだ。論文が一般に公開されるかどうかは疑問だけれど)

もちろん、この時事に憤激して犠牲者を助けようと奔走する男の弁護士、司祭、カトリックジャーナリストもいるし、欧州議会による教皇への手紙、調査、レポートの公表(ミズーリ州のナショナル・カトリック・リポーター)などの動きもここ20年ほど行われてきた。

権威と権力を嵩にきて神の恵みと唱えながら、弱い立場の修道女を虐待すると同時に自らの貞潔の誓いも破って、何食わぬ顔で「神の代理人」としてふるまっているのだから、何重にも悪質で、胸が悪くなるほどだ。神の名においてのテロリズムと変わらない。

多くの証言が、実名でどんどん出てくる。

ある意味で、聖職者に同性愛者が多いとかペドフィルが多いとかいう昨今のスキャンダルどころではない。


まず司祭志願者には普通に異性愛者が多く、そのほとんどは独身の誓いを守り、欲望を抑え、キリストのように弱者の尊厳を守り、仕えることを実践している現実がある。

それなのに、一部では、シスターに全面的に信頼され、拒否されず、しかも秘密がばれないという情況に置かれると誘惑に負け、味をしめてアディクションになっていく病的なケースがあるわけだ。


自らは貞潔である司祭だの司教だのが、そのことを訴えられて事情を知ることになって困惑したことを考えると少しあわれでもある。そんな「ビョーキ」の例に対処しててきぱきと最善の策をとるような行政能力のある人ばかりではない。ショックを受けて信じられなかったり、思考停止状態になったりする人もいるだろうし、逆に割り切って教会の存続や安泰という優先事項しか頭に浮かばずに小手先でごまかしてしまう人もいるのだろう。

ともかく、告発されて書面で事実を認めて謝罪したケースもあるのに、これまでのペドフィリアと同じで、世俗の司法の手に渡すというような措置がとられたことはない。

番組に出てきた弁護士も、出産した後、養子に出すことを強制されたシスターが修道会にも戻れなかった時に、養子縁組を解消して子供を取り戻すなどの仕事をしただけだ。

何よりも、「罪を犯した」司祭は、その罪を悔いれば「免償」されるけれど、シスターが貞潔の誓いを破ることになったり中絶したりするなど自分が望むことなく強制された罪を免償するシステムはないということらしい。

日本にもある障碍者支援施設ジャン・バニエ創設のラルシュ・ホームのパリ郊外の共同体を指導していたトマ司祭からは、1993年の死までに何人ものシスターが定期的に性被害を受けている。この司祭はなんと1952年にすでに同様の罪でヴァティカンに呼ばれて執務停止処分を受けていた人らしい。

1970年代から被害を受けていたシスターで還俗した人2人が、トマ司祭の死後10年以上経った2007年に告発に踏み切った。カトリック教会はそれを認めて、2017年に、3人の司教が被害者と家族、友人のみを招いて謝罪ミサを行った。被害者用のそのビデオで大司教が謝罪し教会の恥だと言っているのが映っている。

でも、それも「内輪」のことで、法的な介入はいっさいない。


このドキュメンタリーを製作したチームはこの2人の元シスターが教皇に面会できるように20184月に申し込んだのだけれど、8ヶ月後にようやく「他の人をまじえないプライベートな面会」という条件を提示され、拒否したという。

まあ、この段階で、この手の最初の接触にジャーナリストを同席させるとかカメラを回させるのを避けるというのは、「もみ消し」や「隠匿」というよりも、普通のプロトコルのような気もするが、悪質な例を並べ立てたこの番組の最後にこうアナウンスされると、いかにもヴァティカンの秘密体質がひどいという印象を受ける。

ペドフィリアのスキャンダルはようやく「世論」にまでなった、今度はシスターの虐待スキャンダルに声を上げていかなくてはならない、とコメントする人もいた。

いわば「内輪」の被害だから、ペドフィリアよりももっと隠蔽されやすい。けれども妊娠や中絶という可能性があるという意味ではペドフィリアよりもリスクが大きいともいえる。

独身制の司祭の中で、同性愛者や小児性愛者のうちでその性的傾向を実行に移す割合や、異性愛者のうちでそれを修道女に向ける割合自体はごく少ないだろう。一般社会での性犯罪率より多いとは思えない。

けれども、「聖職者」がその権威をふりかざす立場で弱者の信頼を裏切るというのは、より「重大」であり、個人の罪は、組織全体を蝕むことになる。司祭の罪は神への冒涜ともなる。何度も自殺を試みた被害者もいるし、神さえも信じられなくなった人もいる。

他にもいろいろ、倒錯的でおそろしい話もあったのだけれど、ではこれが実際にペドフィリア事件よりも大騒ぎになるかどうかというと予測がつかない。もともと女子修道院だとか女子校だとか、女性ばかりが集まっている閉鎖空間に対しては性的な妄想を抱く男たちがいる。ディドロの『修道女』が原作で女子修道院の内部での虐待や同性愛を示唆した映画なども見たことがある。「妻帯司祭」も「司祭と修道女」も、伝統的な妄想の一部なのだ。それらの「やましさ」が、問題の本質をまともに取り上げるのを躊躇させるという面も出てくるのではないだろうか。


で、一夜明けて、前日のドキュメンタリーで大変なミソジニー倒錯集団であるかのように描かれていたヨハネ=パウロ二世時代に創設されたサン・ジャン・ファミリーという修道会の代表が、被害者である女性の勇気を讃え、教会がこの問題に沈黙を保ったことはセカンド・レイプにも等しい、被害者と連帯していく、というコメントを出していた。

ドキュメンタリーのあの描かれ方では、創立者マリー=ドミニク・フィリップ神父もその周りに集まる若者たちもみな倒錯者の集まりに見えて、嫌悪感をそそられた。映像とか編集の力は恐ろしいもので、いくらでも「印象操作」はできるなあという感じだ。もちろん、シスター虐待という「事実」やそのもみ消しの「事実」は確かなものなので、弁解の余地ない「罪」なのだけれど、当然、全員がそうだというわけではなく、一部の性向のメンバーの罪を正当化してしまえる空気があったということかもしれないけれど、番組を観終わった後では、「全員が悪魔」に見えてくる。

これでは偏狭なナショナリズムや民族差別と変わりがない。すべての司祭、教会から神に至るまで倒錯的で不潔だというプロパガンダにつながってしまうのは、フランス革命の時と大して変わらない。

もっとも、キリスト教の信仰者が共通して慕い、愛を捧げる「イエス・キリスト」は確かに、権威や権力を行使する聖職者とは正反対だ。虐待どころか裸で十字架に釘打たれて公開処刑されてしまった。その、人間として最悪の姿の中に「尊厳」を見るという逆説的なキリスト教の精神を受け継ぎそれに殉じる信仰者もたくさんいる。彼らをリスペクトすることはもちろん、彼らの指す道の向こうにあるものを共に求めたい。

ペドフィリアも、ミソジニーも、女性への性虐待も、ヒエラルキー社会での保身や隠蔽や忖度や偽善や欺瞞や既得利権への執着も、権力志向も、カトリック教会や修道院の世界の中に特有なものではない。

あらゆるところにひろがる「人間的」な過ちだ。

他の宗教や宗派、政治の世界や軍隊や大企業からカルトグループ、家族や各種の施設まで、「叩けば埃」どころか偽善と腐蝕で成り立っているケースもあるだろう。

それが、今回、カトリック教会という小宇宙で暴かれて分析されることで、彼らがそれをどのように処理し、犠牲者を守り、自浄し、過ちの予防を模索するのかを見ることは意義がある。

これらを総合的に自己批判する時に、カトリックには「世襲の聖職者」が存在しないし、選挙戦に備える必要もないのだから、ほんとうに「キリストに倣う」ことを誓った人たちの発揮する力をみてみたいものだ(最も必要なのは聖霊の力なのだろうけれど)。


by mariastella | 2019-03-07 19:36 | 宗教
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