先週、バルバラン枢機卿の辞職願がフランシスコ教皇に受理された次の日、
ストラスブールの大司教が、ラジオで、教会内ペドフィリア・スキャンダルについて突っ込まれたインタビューに正直に答えていたのを聞いた。
今、現在、性的虐待で告発されている司祭が司教区内にいるかどうかという質問で、彼は「一人いる」と言う。で、その司祭は直ちに子供と接触のないポストに異動させられているのかという質問には「否」だと答えた。
つまり、大司教はこの告発を現在の教会の指針通り、直ちに警察に通報した。で、今はその調査中なので、証拠隠滅などがないように、その司祭には何も知らせないように、当局から言われているのだそうだ。
ということは、最悪の場合、まだ「ばれていない」と思っている司祭はセクハラを続けたり別の犠牲者を出したりするかもしれない。それではリスクをおかすことになるのではないか ? トレランス・ゼロとはいえないのではないか ? と厳しく問われても、大司教には自分には今の段階では司法機関に従うしか選択肢がない、と答えていた。確かに、「推定無罪」というのはある。冤罪かもしれない。
これが今までであったら、警察に通報するよりもまず司教が件の司祭を呼び出して、ことの真偽を問うことになる。それで「神に誓ってそんなことはしていない」と答えられれば、それを信じる以外の選択は司教にはないだろう。逆に、事実を認めて悔い改めを表明すれば、やはり神の名において免償しなければならないし、その上でなおかつ司法の手に引き渡すことは「告解の秘密を守る」義務もあるから難しかったわけだ。
バルバラン師の場合もこういうジレンマや教会法的処理について、大きく非難されて決定的に弾劾されたわけだから、このストラスブールの場合は個人的に司祭を呼び出して事情を聞く前に司法に「丸投げ」となったわけで、そうすると彼らの調査を妨げてはならない、となるわけだ。これが教会の公金横領などだったら、「事情を聞く」前に自分たちで「調査」することも可能だけれど、密室の性的犯罪となると、本人抜きの内輪の調査と判断は難しい。
いやあ、まだまだこの問題は試行錯誤が続きそうだ。
ストラスブールではすべての告解室や子供たちが出入りする場所のドアを透明ガラスの窓付きのものに変えたという。
その上に監視カメラや盗聴器まで備えられる日がいつか来るなら、もう倒錯的な段階に突入だ。
このままでは司祭を監督するのが任務である司教のなり手なんていなくなるだろう。
「司祭を監督しよう」などという使命感で聖職の道を選ぶ人などありはしない。
司教ってきのどくだ。
神さま、なんとかしてあげてください。