ストレスフルなニュースばかり続くこの頃、久しぶりに心が軽くなる本の著者がインタビューされているのをarteで見た。
『父を救ったこの不思議なナチ』
フランソワ・エスブールFrançois Heisbourgという戦略研究家でテロリズム対策についての著作などもある人だけれど私は読んだことがない。その彼が、自分の父親をヒットラーから救ってくれた人物をついに探し当てた。父親はレジスタンス活動で収容所に送られるところだった。でも、このころの多くの人と同じで父親は当時のことをほとんど語ろうとしないままで亡くなった。で、息子がさまざまな調査をしてようやく発見した「恩人」は、ドイツの男爵で、志願してナチスの将校となったフランツ・フォン・ホイニンゲンだ。
この人は、当時のドイツの普通のキリスト教貴族として普通のユダヤ人への偏見ももっていたし、ヒットラーの政策にも共鳴してナチスに加盟した。
でも、また普通の正義感も持っていて、ユダヤ人やレジスタンスの殲滅作戦には賛同せず、数百人のユダヤ人やレジスタンスの闘士たちを逃がした。
最後はヒットラーへの反逆の罪を逃れるために妻とルクセンブルクに逃げてそのままひっそりと余生を過ごしたらしい。誰にも知られなかった。
で、エスブールが伝えたいのは、あの時代、普通の人が普通に、不当な扱いを受ける犠牲者を救う行動に出たということだ。
ナチスの蛮行というと私たちはアイヒマン裁判を見たハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」を思い出す。普通の公務員が普通に、命令通りに、大犯罪を犯してしまう。
でも、実は、アーレントの証言にも、「普通の善」の証言もたくさんある。
ユダヤ人の子供たちを匿ったり、ユダヤ人の子供たちのために偽の「洗礼証明書」を発行した司祭や牧師もたくさんいた。
ユダヤ人を救った義人というと私たちは勇気ある英雄だと讃えるけれど、実は、市井の普通の人の多くが、ナチスの将校ですら、罪のない人たちをとらえて殺すなんてとんでもない、と思って、自分たちの身の丈に合った救援活動をしたのだ。
「普通の人」が陳腐な悪の方に振れるのか、陳腐な善の方に振れるのか、その差はごく小さいのかもしれない。
「陳腐な悪」の方が私たちに衝撃を与え、そちらに振れないように自戒を促す。
でも、私たちは実は、ずっとたくさんある「陳腐な善」に囲まれて、その恩恵を受けっぱなしで生きているのだ。
エスブールはもう一人、セルマ・カルタルとかいうやはりユダヤ人らを救った人の消息を探し続けているということで、TVで呼びかけていた。
ナチスの残党を世界の果てまで追いかけて罰しようとするユダヤ人組織の執念を見るのはなんだか怖いといつも思っていたけれど、「陳腐な善」を追い続ける子孫たちの熱意には勇気づけられる。
「陳腐な善」をみんなが実践しやすい社会でありますように。