聖人のタイトル剥奪って…
オーストラリアのペル枢機卿にペドフィリアで有罪判決が下ったことで、カトリック叩きの異様な興奮が一部で相変わらず続いている。
ペル師はワシントンの枢機卿と違って、自分にはやましいところがないから、と、オーストラリアの法廷に召喚された時にヴァティカンからすぐに戻っている。 「罪を認めて悔い改めた」というタイプの事件とは全く違う。 前にも触れたけれど、フランスでもつい最近、地域の区画整理における対立の後で司祭に復讐しようとした夫婦がペドフィリアを告発した後、偽証や名誉棄損で有罪判決を受けた。悪意によって被る濡れ衣というものは確実に存在する。 ペル師はLGBTについて、保守的な立場だった。まあ、現役カトリックの高位聖職者なのだからそのこと自体を責められないだろう。でもシドニーはサンフランシスコと並んで世界一LGBTのロビーの力が強いところだ。しかもヴァティカンでの既得権益粛清の仕事でますます敵を増やしている。ある意味で「お手軽」なペドフィリア告発の罪がもし「無実」なのだったとしたら、ペル師は一種の「殉教」者ということだ。 まあキリスト教はイエス・キリスト以来「無実の罪」に耐性があるから長いスパンで見れば落ち着くところに落ち着くのかもしれない。 で、バルバラン師にはじめて、ペドフィリアの司祭(これは本人が認めているもの)を世俗の司法に告発しなかった罪で有罪先刻が出たことで、今度は、世界中からいろいろな通告を受けていたはずのヨハネ=パウロ二世が何の手も打たなかったことを非難して、「聖人」の称号を取り消せ、という声まで一部に上がってきた。 カトリック側には、そんなことをいうなら、明らかに今のフェミニズム的には女性差別のテキストを残したパウロだって聖人をやめてもらうことになる、聖人とは神のそばにいるということで、勲章などの問題ではない、ナンセンスだ、と言う人がいた。 確かに、日本でも、政府からのものを含めて褒賞、顕彰などを受けたアスリートが、その後で性犯罪の実刑が出てすべてを取り消されたり剥奪されたりという類の事件があったようだけれど、そういう世俗の名誉とか表象と、列福列聖の論理はまったく別のところにあるのは明らかだ。 また、確かにナザレのイエスは、自分の生まれた時代や環境に対してまったく革命的な人(というかキリスト教的には神だから当然だけれど)だったけれど、弟子だってパウロだって、みな人間的弱みを生きてきた「時代の子」だった。 ローマ教皇というとその上にもう中世以来の「領主」として長い間「政治」的「経済」的な存在だったのだから、「その時代の過ち」からは自由ではない。 ヨハネ=パウロ二世については、冷戦時代の共産圏からヨーロッパの理念を大切にしてヴァティカンにやってきた人だった。そして、彼が「自由世界」で目撃した「近代性」は、21世紀の目から見るとスキャンダラスなものもある。 1970年代のパリでは、実存主義のカリスマであったサルトルらと共に、ペドフィリアを肯定するようなマニフェストが展開されたことすらある。もちろん合意なしのものが罪であるのは変わりがないが、フロイトの影響もあり、子供にでもセクシュアリティはあるので、快感を目覚めさせるのは悪いことではない、欺瞞的な抑圧からの解放だ、という空気が「時代の空気」であり、それが大方の問題意識をくもらせたという可能性は大いにある。 その最たるものが、なぜローマ教皇はヒットラーのホロコーストを許したのか、というやむことのない攻撃だ。 ナチスが政権を取った時、世俗の知識人、聖職者、ユダヤのラビなど、多くの人が、ピウス11世に直訴したり親書を送って、ヒットラーを弾劾してくれと頼んだ。特にドイツのユダヤ人哲学者でカトリックに改宗したばかりのエディット・シュタインからの嘆願の手紙は「先見の明」があるもので、同志てすぐに反応しなかったのかとはよく呈される疑問だ。彼女がカルメル会の修道女となった後でガス室で殺され、後に殉教者として列聖されたこともユダヤ教との間にいろいろな摩擦の種になった。 彼女の列聖こそが、教皇への親書に対する遅すぎた答えだったのかもしれないが、ともかくそれをきっかけにカトリックとユダヤ教の兄弟性が繰り返し強調されるようになったので、シュタインの手紙も「殉教」も決して無駄にはならなかった。 ピウス一世には、あのムッソリーニですら、ヒットラーを「破門」してはどうかと頼む心づもりをしていたという証言も残っている。 そう、ルター派がマジョリティのドイツでは30%ほどだった当時のドイツのトップに立ったヒットラーは「カトリック」だった。イエスは実はアーリア人だったと言わせるとか、ゲルマン神話に入れあげるとか、自分も敢えてカトリックとは言わず「キリスト者」であると言っていた。そして、ユダヤ人を「キリスト殺し」だと非難したわけだけれど、ともかく、当時の脅威だった共産主義無神論者ではなかった。 ヴァティカンが、ヒットラーを則「破門」する代わりに、無神論を共通の敵とする同志として1933年夏にひとまず何とか外交関係を樹立したこと自体が、結果論ではなく当時の文脈で考えた時に「戦略」上間違っていたのかどうかは私には分からない。 その後、エデッィト・シュタインの恐れていた通り、ヒットラーの全体主義は猛威を振るった。教会はすべて御用教会としか生き延びられず、それに反対する聖職者はユダヤ人と同じように収容所に入れられた。 ドイツからオランダの修道院に移ったエデッィト・シュタインは、オランダのカトリックとプロテスタントが共同でヒットラーのオラ エデッィト・シュタインは、イエスの十字架はまさにユダヤ人の十字架であり、ユダヤ系キリスト者である自分こそが全てのユダヤ人の十字架を背負うという覚悟をもっていた。 過去のいろいろな歴史を検証して断罪することは難しいけれど必要だ。 それらからいろいろなことを学んで「過ち」を減らしていくことは、さらに大切なことなのに、さらに、難しい。
by mariastella
| 2019-03-18 00:05
| 宗教
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