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L'art de croire             竹下節子ブログ

バルバラン枢機卿事件について補足

これを書いているのは 3/29。

あすから、日本に行くまでの準備と日本に行ってからあわてないように、20回のシリーズものを予約投稿しておくので、これは昨日に続いて最後の時事記事になる。

またまたフランスのカトリック・スキャンダルで申し訳ないけれど、フランシスコ教皇がリヨン大司教のバルバラン枢機卿の有罪判決後の辞職願を受理しなかったことの背景がひとつわかったので書いておく。

それは、去年の7月、オーストラリアのフィリップ・ウィルソンというアデレード大司教が、やはり、教区内のペドフィリアを司法に届け出ず「隠蔽」したという罪で有罪判決が下された後で、教皇が辞職願を受理していたという例だ。ところが、次の控訴審で、最終的に無罪判決が出た。


ことの次第は1970年代に遡る。ジム・フレッチャーという司祭がペドフィリア行為で有罪になり、2006年に獄死している。70年代に若い司祭であったウィルソン師は、その犠牲者たちの証言を聞いていたというのだ。

にもかかわらず隠蔽したということで20185月に12ヶ月の禁固刑の有罪判決が下された(実際は自宅軟禁に変更された)。

でもウィルソン師は、ずっと無実を訴えていた。若年性アルツハイマーでもあることからすでに大司教としての活動は休止していたものの、有罪判決の後は、すぐに控訴すると発表し、辞職は拒否した。

ところが、すでにペドフィリア事件で傷ついていた国の人々からの非難は高まるばかりで、フレッチャーの被害者たちばかりでなくカトリック教会も彼に辞職を促し、なんとオーストラリアの首相までがフランシスコ教皇にそのことを知らせたという。オーストラリアの司教会議も、「辞職に反対するつもりはない」としてウィルソン師を見捨て、追い込まれたウィルソン師の辞職願は7/30に教皇に受理された。

ところが、12/6、控訴審は、当時の犠牲者がウィルソン師に証言していたという事実に矛盾があるとしてウィルソンに無罪判決を下した。

その後でも辞職願の受理は取り消されていない。


つまり、フランシスコ教皇には、本人の無実の訴えよりも「カトリックを含めた世間の圧力」を優先して、控訴審を待たずにウィルソン師を辞職に追い込んだという苦い経験があるわけだ。

それを考えると、控訴をするバルバラン師の有罪が確定するまでは辞職願を保留するという今回の態度は、十分に理解できる。

もちろん、フランスでは当のペドフィリア司祭がまだ生きていてそちらの最終判決もまだ出ていないという、心情的にさらに面倒な要素がある。

全体として、今回の件は、そもそもヴァティカンという国の首長が、「カトリックのリーダーとしての立場」と小さいながらも国際的に認められている「主権国の首長としての立場」との二つの間で一貫していないことがあるという現実の一つの結果でもある。

そしてカトリックというシステムが、典型的な上意下達のヒエラルキーがあるにもかかわらず、実は、ローマ教皇が「ローマ司教」であるように、各司教区の司教が絶対的な自治権を持っているという「地方分権」のシステムでもあるという構造も、ことを複雑にしている。

さらに、原理的には、リヨンの大司教であろうと、叙階されたばかりのどんな田舎の一司祭であろうと、「聖霊」によってキリストと直接結ばれているのだから、「上司」の許可がなくても、信徒と神を仲介する全責任と自由を付与されていることになる。

だから、一つ間違うと、内向きの閉鎖的な共同体のグルのような行動に突っ走ることが誰にでも可能になるということだ。

特に共和国型無神論という歴史の洗礼を受けてきたフランス型の政教分離社会では、カトリック教会はその歴史を達成し支えてきた一要素となっている。

アングロサクソン・プロテスタント型の国と違って、「私は神を信じる」ということを「共同体」の外では口にできない環境になっているのだ。

でも、今回のスキャンダルで「瀕死」の状態にある、もう立ち上がれないに違いない、とまで言われるフランスのカトリック教会にも、ようやく新しい声が上がっている。

自分たちが閉じ込められていると思っていた政教分離、無神論型の社会の中の檻には、実は、鍵がかかっていないことに気づいた、という人がいるのだ。

「福音宣教」の本当の意味をあらためて問うことで、本当は「檻」の外の多くの人が、「神を信じる」という人の声を聞きたいと思っていることに気付いたという。


日本でなら、それこそ一部の新興宗教や政治家の場合を別として、一般に、だれかが初詣に行ったとか寺社でお祈りとかお祓いをしてもらったとか口にしても、誰も、その人の「宗教信条」を問題にしたり「政治イデオロギー」を追及したりしない。

フランス型無神論のタブーによって形成されている「檻」の感覚はなかなかつかめないだろう。


今回のカトリック教会のペドフィリア・スキャンダルは、宗教の比較社会文化論の見地から見ても非常に興味深い現象だ。

引き続き観察していくことにする。


by mariastella | 2019-04-13 00:05 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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