『運び屋』
90歳の麻薬の運び屋を演じるクリント・イーストウッド。
主演した『グラントリノ』から10年目。
老父に一番冷たい娘役がイーストウッドの実の娘という。
麻薬カルテルがメキシコ系でスペイン語を話している。
どう見てもラテン系でないイーストウッドだが、ユリの栽培でメキシコ人のスタッフを使っているのでスペイン語も分かり、ベトナム戦争の退役軍人という設定も歴史を感じさせる。老人の経済的な行き詰まりが、インターネットの普及による事業の悪化であるというのもリアルだ。
でも、「時代についていけない」部分とは別に、人種差別や性差別などについて意外にまっとうな感性を持っていて、「人とのコンタクトを楽しむ陽気でマイペースな男」というベースは変わっていない。
でも、彼の正義感の発揮とオプティミズムはやはり白人であることにルーツを持つので、ポリスに車を止められて職務質問されるたびに死の恐怖を味わう「非白人」の本当の事情を分かち合うことはできない。
アメリカってやはり想像を絶する部分がある。
『七つの会議』
池井戸潤原作など私のタイプではないけれど、野村萬斎、香川照之、北大路欣也、片岡愛之助など、役者の魅力のために見る気になった。
リコール隠し、隠蔽する組織体質、責任のなすり付け合い、過度なノルマなど、業界的には大いにあり得る話だそうで、日本の企業って本当にこんなものなのだろうか。
私にとっては「おじさん向けコミック」のような設定なのだけれど、人気作家の小説で、それなりのリアリティはあるのだろう。
もちろん前回観た『空飛ぶタイヤ』のリコール隠しのことも思い出した。
野村萬斎がなんといっても、個性的で、狂言の舞台も観たことがあるにもかかわらず、最初は『陰陽師』の安倍晴明の姿が重なったけれど、だらっとした背広姿で実は全編を担っていく強靭さが半端ではない。
最後に結局リコール隠しを摘発するのは、『ミスター・ガラス』(後述)の結末と似ていないでもない。
『一二人の死にたい子どもたち』
廃病院に集まって集団安楽死をしようとする未成年たち。
典型的に、今のSNS時代ならではの話だ。
この中の、気が強そうな優等生タイプのメイコ/黒島結菜(くろしまゆいな)がどういうわけか国際政治学者の三浦瑠麗女史と重なって見えた。途中でやめてもいいと思って見始めたのだけれど、それなりの謎解きや人物造形がよくできていて、結局最後まで見てしまった。ここまで「大人」不在という映画が伝えようとするメッセージを考えさせられる。