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L'art de croire             竹下節子ブログ

覚書きから その2 『ラムセスⅡ』

これは書くつもりのなかった演劇評だ。

評論になっていないし、気に入ったとかお勧めとかいうものですらない。

(誰の役にも立たないと思う。だから封印していたけれど一応残しておく)

テレビの放映で視聴した。


『ラムセスⅡ』というものだけれど、フランスの芝居でこれほど私を揺さぶったものはない。

「感動する」という意味の揺さぶりではない。

恐怖と不快感がその後も消化できないからだ。

セバスティアン・チィェリーによるこの芝居は、コメディのカテゴリーであり、不条理なシチュエーションのサスペンスフルな「家族劇」でありながら確かに観客はその不条理な会話(例えば「あなたはひょっとして…記憶力に問題あるの ?」「ないと思います、いや、記憶の限りでは…」とか。)や、繰り広げられるブラック・ユーモアの一つ一つに笑っている。

この芝居はフランスの演劇賞であるモリエール賞にも2018年にノミネートされていて、主要な3人の役者も、特に二人の男(舅と娘婿)を演じる2人は名演、名人芸、熱演の極みである。

三幕から成り、三幕とも悪夢のように同じシチュエーションで始まる。でも、一幕目の初めから、私はまったく笑えなかった。不快で、不安で、「悪意」のようなものをキャッチしたからだ。終盤になってあまりもの不条理さに笑えてきたけれど、「オチ」が分かる最後まで見てもカタルシスは得られなかった。

ネットで批評を検索すると、メディアはすべて高評価(だからこそ賞をとった)だし、絶対お勧め、という観客もたくさんいたけれど、私とまったく同じように、「嫌悪感しか感じなかった」、という意見も決して少なくなかった。

それらを読んで、「私一人ではなかった」という意味ではほっとしたものの、「プロの批評家が絶賛しているものに一部の人が眉を顰める」というケースは普通、その一部の人は固定観念や先入観にとらわれているとか、超保守的とか、上品ぶった偽善者ということが多い。もともと間口の広い私のような人間は、普通は「そっち側」の人間ではない。それなのに、この芝居の巧妙な構成、息をつかせぬサスペンス、役者たちの名演、舞台装置から照明に至るまでの値打ちをすべてキャッチしながら、最初の数分からすでに拒絶反応が起きた。それでも、観るのをやめようとは思わなかったのだから、作品の強度、牽引力はすごいものだと分かる。

舅役のフランソワ・ベルレアンは映画でも名脇役で有名だし、エリック・エルモスニーノはセルジュ・ゲンズブール役(『ゲンスブールと女たち』)でセザール主演男優賞をとっているから日本でも知られているだろうが、もともとアクが強く、今回の役を見た後では、絶対に同室にいたくない人物ナンバーワンという感じだ。

嫌悪感を強く表明する人の言い分には、批評家たちは絶対に触れないけれど第3幕目にエルモスニーノが突然露出狂のようなしぐさをすることがあらかじめ知らされていない、手を前で動かすだけでよかったのではないか、意味が分からないで不快というのがあった。私はもうそのあたりのシーンでは全体が気持ち悪かった。

実は、役者でもあるセバスティアン・ティエリーは、2015年のモリエール賞の授賞式でも、当時の文化相だったフラール・ペルラン女史の前に全裸で現れて戯曲作家の権利擁護を訴えたという人だ。他の作品にも、『全裸の2人の男』というのがあって、フランソワ・ベルレアン演じる弁護士がある朝、全裸で若い同僚(セバスティアン・ティエリー自身が演じる)と自分のアパルトマンにいた。理由は分からない。でも、つじつまを合わせるために妻に嘘を説き続ける、というやはり不条理劇で、「裸」のハードルがもともと低い人なんだろう。もちろん「舞台」上とはいえ、公然猥褻みたいなこんなパフォーマンスなんて、アングロサクソン国では考えられるのだろうか。「真理はどこにあるのか」「事実はどこにあるのか」「ロジックはどこにあるのか」などがテーマになっている不条理劇だということはもちろん分かる。

アート作品には時として、一見「汚い」とか「残酷」とか「乱雑」とか「露悪的」とか、挑発的なテクニックで本質に迫るというか、そのようなテクニックによってしか見えてこない「真実」みたいなものを提供するものがあるのも分かる。

でも、パリ郊外に住むブルジョワ夫妻(もと眼鏡店経営者だったけれど自動車事故で車椅子暮らしという設定。この車椅子自体がサスペンスの小道具になっていて、そのことが不愉快だというコメントもあった。)のところに、毎日曜のランチ(こういうのはフランスに普通によくあることだ)に通ってくる娘夫婦、という設定もフランスにいると妙にリアルで、ある日エジプト旅行帰りで久しぶりにやってくるはずの2人のうち、婿しかうちに入ってこず、娘の方がどこにいるかまったく分からないというシチュエーションが怖い。

 公開当時の宣伝を検索すると、「開かれたエスプリ」の持ち主向け、と解説されている。私が驚いたのは、自分が「開かれたエスプリ」側ではなかったのか、ということだ。

まあ主演のフランソワ・ベルレアン自身も、こんなシナリオを書くなんてティエリーは病気だ、精神分析してもらった方がいい、などとジョークっぽく語っている。

で、最後の「オチ」が分かった後で反芻しても、実は誰が狂気の中にいたのか、いつどこで狂気が発現し交錯したのか、分からない。観客は完全に罠にはまっている。

この芝居を日本人の誰かに見てもらって意見をきいてみたい。


by mariastella | 2019-06-03 00:05 | 演劇
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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